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    <title>phosphorescence</title>
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    <title>巨大な垂乳根に抱かれて、今日はもう寝る</title>
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    <published>2011-08-18T11:26:20Z</published>
    <updated>2011-12-24T07:08:04Z</updated>

    <summary>音楽の話をする。１　CDを買った話音楽が、足りてないから、聴きたいんよ。というこ...</summary>
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        <![CDATA[<div>音楽の話をする。</div><div><br /></div><div>１　CDを買った話</div><div><br /></div>音楽が、足りてないから、聴きたいんよ。<div><br /><div>ということで、買おうと思っていたCDをまとめて買った。</div><div><br /></div><div>Brad Mehldau "Live in Marciac"</div><div>随分前に出ていて、アマゾンで買うか、タワレコで買うか、迷っていて買いそびれていた。</div><div>CD２枚とDVD１枚のアルバム。</div><div>ソロのライブ盤ということらしい。そりゃいいに決まっている。</div><div>また新しいバージョンの"Exit Music(for a Film)"があって良かった。</div><div>やっぱりこういうillな感じのメルドーは良い。</div><div><br /></div><div><br /></div><div><div>Lee Konitz, Brad Mehldau, Charlie Haden &amp; Paul Motian "Live At Birdland"</div></div><div><div>未だちゃんと聴いていないけど、メルドーとチャーリー・ヘイデン。</div><div>youtubeで視聴した１曲が良かったので購入。</div><div><br /></div><div>Charlie Haden &amp; John Taylor "Nightfall"</div><div>Charlie Hadenの"Nocturne"が良過ぎたので、これはもっとCharlie Haden聴かなくてはならないということになった。</div><div><br /></div><div>Four Tet "Rounds"<span class="Apple-tab-span" style="white-space:pre">		</span></div></div></div><div>Four Tetは好きなのだけれど、何でもWeb上でフル視聴できるようにしてくれるので、ついつい以前のアルバムを買いそびれていた。</div><div>やっぱり、ええよね。</div><div>この、かんじ。</div><div><br /></div><div>２　音楽の話をした話</div><div><br /></div><div>現在の職場のような場所で、目の前に座っているTさんと、音楽の話をした。</div><div><br /></div><div>この人とは、以前、jazzの話をしたことがあって、ともにメルドー好きで盛り上がった。</div><div>ブラッド・メルドー好きなら、間違いない。</div><div><br /></div><div>で、最近の音楽聴いてないね、なんて話をしていた。</div><div>前日、姉のfacebookでRadwimpsの話題を見かけたので、</div><div>ー最近だと、Radwimpsとか聴きますよ。</div><div>と言ったら、</div><div>ーRadwimpsて、もう最近でもないでしょ。</div><div>と言われた。</div><div>確かに。</div><div><br /></div><div>Radwimpsを初めて聴いたとき、その余りにストレートすぎる歌詞がちょっと鼻についた気がしたけれど、最近はこれはこれでいいなあ、と思う。</div><div>ストレートに、というのも、良さがある。</div><div>ストレートながらも、作り込んでいる歌詞も良い。</div><div>例えば、"マニフェスト"なんかは、</div><div>「政治と愛というものの、ともに正義ーこれ自体の定義は問題となり得るところであるが、等しいものを等しく扱うという意味で捉えるーと相反する性質を持つ、という側面を結びつけた歌詞で、また、ポピュリズムの暴力性を指摘するものであって...」</div><div>なんて解釈を容易に引き出せるところが、鼻につくところでもあるし、良さでもある。</div><div>例えば『蟲師』のようなテーマの解りやすさのような。</div><div>まあ、でも、演奏うまいし。いいよね。</div><div>みたいな。</div><div><br /></div><div>あと、ZAZEN BOYSの４枚目のアルバムやっぱりいいよね、なんて話も。</div><div>Tさんは自身でもドラムを叩くらしく、アヒト・イナザワ脱退後のドラマー、松下敦が好きらしい。</div><div>taratineいいよね。</div><div>みたいな話をした。</div><div><br /></div><div>今度やるキリンジのライブ行きたいねえ、なんて話も。</div><div><br /></div><div>法律の話なんかより、おもろいからね。</div><div><br /></div><div>まあ、そんなこんな。</div><div>今日はもう寝る。</div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>test</title>
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    <published>2011-08-16T11:18:48Z</published>
    <updated>2011-12-24T05:22:09Z</updated>

    <summary>test...</summary>
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        test
        
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    <title>...signed</title>
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    <published>2010-01-17T11:16:48Z</published>
    <updated>2011-12-19T17:14:28Z</updated>

    <summary>大江健三郎の新刊『水死』刊行にともなって行われた、丸善でのサイン会に行って来た。...</summary>
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        <![CDATA[<p>大江健三郎の新刊『水死』刊行にともなって行われた、丸善でのサイン会に行って来た。<br />
『水死』を購入したのは1ヶ月以上前だけれど、未だ１頁も読んでいない。<br />
今はまとまった時間がとれないので、読み始めるのはまだ数ヵ月後になるだろう。</p>

<p>私が購入したときの記憶では、確か整理券が100枚くらい配布されたはずなので、行列もそれぐらいだったのだろう。<br />
行列を見てみると、20代と思しき人は、5人から10人程度だっただろうか。</p>

<p>サイン会に来るほど、熱心に大江健三郎を読む他の20代の人は、何を考えているのか、少し気にはなった。</p>

<p>大江健三郎は、書店の一角に設置された机の前に座り、太めの万年筆で丁寧にサインをしていた。<br />
整理券に記された購入者の氏名を確認するようにゆっくりと楷書で書き、その後に自分の名前を書いて判子を押した。<br />
その間ずっと俯き、書き終わるとちらりと購入者を見て、礼を述べていた。</p>

<p>見慣れた自分のフルネームが、大江健三郎の手によって、少し時間をかけて書かれるというのを見るのは、何だかとても不思議な感じがした。<br />
私の苗字は少し紛らわしい漢字があるのだけれど、質問して確かめることもなく、正しい文字が丁寧に書かれていた。</p>

<p>大江健三郎が記したサインには、とても見覚えがあって、ああ、そういえば大江健三郎のサインは、こういう筆跡だった。と思って、それはどこで見たのだろう、と思ってしばらく考えて思い出した。<br />
それは、自宅の書棚にある、『青年の汚名』の背表紙が、自筆を印刷したものだったからだ。<br />
『青年の汚名』自体は一度読んだのみだったけれど、少し手に入れるのに手間取った作品だったので、印象に残っていたのか、もしくは、書棚の中で、手書き文字が珍しかったので、印象に残っていたのか。</p>

<p>長い列を少しづつ消化してい間、大江健三郎はほぼずっと俯いて書いていた。書き終わってちらりと相手を見て礼を言うときを除いて。<br />
その様子は、何かに耐えているような感じがした。</p>

<p>おそらく、あまり得意ではないのだろうな、と思ったのだけれど、それでも、しかたなくいやいややっているという傲慢さは微塵も感じられない、なんだか不思議な雰囲気だった。</p>

<p>他の多くの人同様、握手をしてもらったが、意外に力強い握手だった。</p>]]>
        
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    <title>雪かもな</title>
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    <published>2010-01-12T16:40:05Z</published>
    <updated>2011-12-24T06:01:18Z</updated>

    <summary>今日東京に少し雪が降った。 それを見て、雪に似合う音楽はなんだろうと考えたとmi...</summary>
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        <![CDATA[<p>今日東京に少し雪が降った。<br />
それを見て、雪に似合う音楽はなんだろうと考えたとmixiに書いている人がいた。</p>

<p>私はそのとき、昼食のベーグルを買いに出ていたところで、押しよせるさまざまのものを締め出そうとして、ipodでTMGEのアルバム"ロデオ・タンデム・ビート・スペクター"を聴いていた。trackは多分、"ターキー"だったと思う。</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/4k3t0uURxOA&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/4k3t0uURxOA&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p><br />
この曲はとても好きだけれど、雪に似合う曲というわけではない。</p>

<p>そこで今、ふと雪に似合う曲って何だろう、と少し考えた。</p>

<p>まず頭に浮かんだのは、ジャズピアノだった。なんとなく、雪のイメージとジャズピアノがつながったというだけで。<br />
最初に浮かんだピアニストは、Bill Evansで、なんとなく"Green Dolphine Street"ぽいか、とも思ったのだけれど、あまりしっくりこない。</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/IrVnm66joQk&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/IrVnm66joQk&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p>この動画はMiles Davisの"1958 Miles"に収録の"On Green Dolphin Street"だけれど、雪に似合うといえば、むしろBill Evans の"Green Dolphin Street"に収録の曲の方だと思う。<br />
ただ、この曲が雪に似合うとしたら、今日のような、雪と雨の間のような雪ではなくて、もっと軽やかな雪のような。そんな気がする。少し楽しげで。</p>

<p>この曲もちょっと違うな、と思って、同じBill Evansなら、Miles Davisの"Kind of Blue"に収録の"Blue in Green"が思い浮かんだ。<br />
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/PoPL7BExSQU&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/PoPL7BExSQU&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p>これも、ちょっとクールすぎるような気がする。<br />
かといって、Keith Jarrettは叙情的過ぎるような気がするし。</p>

<p>なんとなく、今の気分に合うのは、端整なBill Evansのピアノよりも、少し病んだ感じのするBrad Mehldauの方かもしれない。<br />
Brad Mehldauのどの曲、と思っても、絞りきれない。アルバムだと"Live in Tokyo"の雰囲気かなとも思う。<br />
http://www.bradmehldau.com/media/index.html</p>

<p><br />
なかなか雪に似合う曲というのは難しい。</p>

<p>ただ、雪を歌った曲なら、とても好きな曲がある。<br />
Sionの"雪かもな"だ。<br />
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/IeXA03mlnek&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/IeXA03mlnek&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p>こんな冷え込む夜には、熱い珈琲にラムを少し。</p>

<p>ではまた。</p>]]>
        
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    <title>体重を減らしたというだけのはなし</title>
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    <published>2009-12-28T14:19:32Z</published>
    <updated>2011-12-24T06:27:56Z</updated>

    <summary>2ヶ月で体重が10kg以上減った。 自宅に体重計がないので、どこからどこまで減っ...</summary>
    <author>
        <name>huggy</name>
        
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        <![CDATA[<p>2ヶ月で体重が10kg以上減った。</p>

<p>自宅に体重計がないので、どこからどこまで減ったかとか、体脂肪率とかは解らないのだけれど、最近計ったところによると、少なくとも10kgは減ったようだ。</p>

<p>私は今までの人生のうちに、食餌制限による減量というものをただの一度もしたことがなくて、今回初だったのだけれど、拍子抜けするほど簡単に減るもので、驚いた。もともとの母数が大きいから、減った数も大きいということもあるのだろうけれど。<br />
そこで、少し思うところがあったので、書き留めておこう。</p>

<p><br />
そもそも、なぜ減量しようかと思ったかというと、精神的な理由が大きい。それはつまり、なぜ体重が増えたかということにつながる。<br />
私の体重が増えたのは、端的にストレスがたまると、とにかく食べる量が増えるためだろう。そして、さらに悪いことに、私は自分で料理をするということがストレス解消にもなっている。そのために、ストレスがたまると、自分で料理を作り、そのストレスが強いほど、手の込んだ料理をしたりする。そして、出来上がった大量のそれを自分独りで食べる。</p>

<p>檀一雄が何かで書いていた場面でとても印象に残っている１シーンがある。それは、主人公が、キッチンつきの安宿に長期滞在していて、鬱々としている時期に、大量の材料を買い込んで、料理を作る（確かビーフシチューだったか）という場面だ。しかし彼は、作って少し食べるか食べないかでそのまま放置してしまい、食材も片付けないまま、鬱々とし続ける。やがて腐っていく料理と、蟲が這い出し始める食材の山。<br />
このシーンが、エッセイだったか私小説だったか忘れたのだけれど、とにかく作者の檀一雄を強く連想させるものであることは確かだったと思う。実際、檀一雄はとても料理が上手で、小さい頃から自分の食べるものは自分で作る習慣というものがあったらしい。<br />
本来、生命力の現れであるはずの、料理を作るという行為が、逆説的に陰鬱な表現となっているこの場面は、とても印象的だ。檀一雄自身が、太宰治と自分との違いは、肉体の頑強さにあるといっていたことを思い出す。そしてその頑強さは、頑強であることの皮肉さというものを書いていたように思う。</p>

<p>ともあれ、私自身檀一雄のように、大掛かりな料理はしないし、このような切実さで煮込み料理は作らないけれど、ストレス解消のために作っていたことは確かだ。そして、檀一雄とちがって、それを無理して自分で食べるということが多かった。</p>

<p>まあ、そんなことをしていれば、体調を崩すことは明らかで、元来強くない胃は荒れ、口角炎が絶えない時期もあった。<br />
今思うと、あれだけ無茶な食生活をしていて、体重があの程度で収まっていたこと自体ちょっとおかしい。基礎代謝が多少高かったということと、消化がうまくいっていなかったということから、ある限度にとどまっていたのだろう。</p>

<p>そんなこんなで、体調を崩したこともあって、精神的にも良くないのだから、少し食事のあり方を変えようと思い立ったのである。厳密に言えば、食餌方法の異常は結果であって原因ではないのだけれど、これがさらに原因になるスパイラルだけは避けられるということだけれど。それが10月末くらい。</p>

<p><br />
もともと料理自体は自分でしているのだから、作る量と食べる量、そして材料と調理法を変えればよかった。<br />
具体的には、野菜メインにすること、そして、なるべく少なめの量を作ること。</p>

<p>レシピはマクロビ系のレシピサイトなどを参考にした。外食を除いては、ほぼ野菜ばかり食べていた。<br />
調理法では、油を少なめにするように、煮物にするとかだろうか。</p>

<p>幸い、私は好き嫌いがなく、野菜も好きなので、特に苦ではなかった。<br />
さらに、季節柄、南瓜や蓮根、白菜も美味しい時期で、これらの野菜ばかり食べていたように思う。</p>

<p>食事の方法としては、なるべく３食きちんと食べるということ。そして、間食をしないということ、胃で未消化のまま眠らないということ、くらいだろうか。<br />
水もたくさん飲むようになったけれど、それはもともと多く飲んでいたから、あまり変化はなかったかもしれない。</p>

<p>そんなことをしていたら、体重は簡単に落ちた。</p>

<p>以上が体重を減らすまでの経緯だ。</p>

<p><br />
そして、この過程で興味深かったのは、自分にとって、食生活で欠かせないものと、特に無くても大丈夫なものとの区別がついたということだ。</p>

<p>まず、欠かせないものは、珈琲とチョコレート。<br />
珈琲は絶対に欠かせなかった。間食が減った分だけ、珈琲を飲む量が増えた。珈琲を飲むと、空腹感が収まるように思う。今後の人生においても、珈琲は不可欠だろう。</p>

<p>そしてチョコレート。珈琲にチョコレートは最高のマリアージュだと思う。とはいっても、できるだけ間食をしないようにしていたので、チョコレートを食べるのもかなり減った。<br />
以前はチョコレートは部屋に欠かさずストックがあったのだけれど、それをやめた。ストックをしたとしても、ダークチョコレート、カカオが70パーセントくらいのものに代えた。そして、それを珈琲とともに一欠けら食べるようにした。<br />
ダークチョコレートも90パーセントカカオとかだと、苦すぎるけれど、70パーセントくらいのものは、案外美味しい。珈琲にもよく合う。</p>

<p>それでも、やはり甘いチョコレートも恋しくなる。そんなときには、高級チョコレートといわれる部類のチョコレートを少しだけデパ地下などで購入し、食べていた。<br />
デメルもヴィタメールも美味しいし、オリオール・バラゲが大好きだ。</p>

<p>これがまあ、美味い。たまに食べるから余計に美味いということもあるのだろうけれど。<br />
チョコレートの美味さは実際、官能的ですらあると思う。<br />
もしチョコレートがダイヤモンド並に希少であったら、それを巡って殺し合いが起こるだろうと言った作家が誰だったか忘れたけれど、実際その通りだと思う。<br />
脳も溶ける。</p>

<p>私の場合はチョコレートに顕著だったのだけれど、『刑務所の中』であれほど甘いものが渇望されていたのが、少し解った気がする。<br />
実際、間食をやめて、甘いものを一切食べていないと、むしょうに甘いものが食べたくなる。『刑務所の中』でアルフォーとコーラがあれだけ美味しいものとして描かれていたのがとてもよくわかった。<br />
酒は飲まなくても我慢はできるけれど、甘いものは切実に駄目なのだろうな。</p>

<p>まあ、そんな具合。</p>

<p>次に、以外に大丈夫だったものは、酒だろうか。2ヶ月間まったく酒を飲まなかった。2ヶ月全くチョコレートを食べないということはおそらく耐えられないけれど、酒は大丈夫だったというのが、自分としては意外だった。<br />
まあ、最近はすでに飲んでいるし、その際にやはり酒は美味いと感じたので、これからも飲むだろうけれど。<br />
以前のように痛飲することはもうやめようかと思っている。<br />
美味しく感じられる限度にしようか。といっても、ワインだと2本ぐらい美味しく飲めるのだけれど…。</p>

<p>あとは、スナック菓子だろうか。確かに時折ポテトチップスが食べたくなったりはするけれど、それほど強い欲求でもなかった。</p>

<p>以上が食べなくても大丈夫だったものと、大丈夫でなかった不可欠なものだ。</p>

<p>随分と長くなった。</p>

<p>あと、体型の変化と美醜の問題について書こうと思ったのだけれど、これはまた次に書こうか。</p>]]>
        
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    <title>ポテトチップスぐらいなもの</title>
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    <published>2009-12-08T14:35:39Z</published>
    <updated>2011-12-24T06:50:25Z</updated>

    <summary>朝、随分と遅くなった日の出がようやく見え始めた頃、重くなりがちな足どりを少しでも...</summary>
    <author>
        <name>huggy</name>
        
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        <![CDATA[<p>朝、随分と遅くなった日の出がようやく見え始めた頃、重くなりがちな足どりを少しでも軽くするために、私は音楽を聴く。<br />
こんな朝に聴くのは、最近ずっとTMGEだ。<br />
Thee Michelle Gun Elephant。<br />
私がきちんとTMGEを聴いたのは、とてもとても愚かなことに、アベフトシ逝去のニュースが流れてからだった。<br />
ラジオから流れてきた曲がものすごく格好よくて、その曲がスモーキンビリーというTMGEの曲であるということ、そして、そのバンドはもう聴けないことを知った。</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/bgCjh6HkTes&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/bgCjh6HkTes&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p><br />
『This is it』への熱狂や、忌野清志郎への追悼ムードへ感じる複雑な感じが、そのまま反射した形での後ろめたさを感じながら、TMGEを聴いている。</p>

<p>この朝に聴いていたアルバムは"SABRINA HEAVEN"。<br />
その中の"メタリック"という曲を聴いていて、「詩情」ということについて考えた。</p>

<p>きっかけとなったのは、同曲のこの一節。</p>

<p><br />
<blockquote></p>

<p>人を愛したときにはさ<br />
人種とか国籍とか<br />
性別とかそんなことは<br />
ポテトチップスぐらいなもの<br />
（Thee Michelle Gun Elephant "メタリック"）<br />
</blockquote></p>

<p>なんというか、歌詞だけだとこの曲自体から受ける印象とは随分と異なるのだけれど、それはおくとして。</p>

<p>この「ポテトチップスぐらいなもの」というのでしか表せないものこそが、詩情なんだろうな、と感じたのだ。</p>

<p>どういうことかというと、「ポテトチップスぐらいなもの」という表現を聞くと、つい「どういう意味で？」と問いたくなる。<br />
「人種とか国籍とか性別とか」にはある性質があって、そして「ポテトチップス」にもある性質があって、その両者の性質が重なり合っていて、かつその両者においてその性質が重要な意味をもつ、という意味において、「ぐらいなもの」という表現を使っている、とか。<br />
それは間違いではない、おそらく。<br />
論理的といわれる思考はそのようになされるのだろう。</p>

<p>しかし、この部分の歌詞にはそのような思考方法では決してたどり着けないものがある。<br />
ポテトチップスのように軽いとか、ジャンクなものだとか、何より簡単に割れてしまうこととか、そういう言葉を幾ら重ねても、決してたどり着けない余剰がこの表現にはあるように思うのだ。<br />
つまり、「ポテトチップスぐらいなもの」という表現でしか表せないもの。</p>

<p>それは「つまりはこの重さなんだな。」（梶井基次郎『檸檬』）としか表現できないものであったり、「あぢさゐの花」（萩原朔太郎『こころ』）としか表現できないものであったりするのだろう。</p>

<p>比喩という表現がもつ豊かさとして当然のことなのだろうけれど、つい、「そのココロは？」と問うてしまう。その傾向にはある種の乏しさがあることには自覚的でありたいと、そう思った。</p>

<p>そんな、こんな。</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/-OYIQm0-Ubk&hl=ja_JP&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/-OYIQm0-Ubk&hl=ja_JP&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>]]>
        
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    <title>Hauschkaのこと</title>
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    <published>2009-10-31T11:49:02Z</published>
    <updated>2011-12-17T23:44:14Z</updated>

    <summary>「私」で始まる文章を、書くことも読むこともなくなって、随分と経つ。 構成を考える...</summary>
    <author>
        <name>huggy</name>
        
    </author>
    
        <category term="4.音楽" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mensura-zoili.com/">
        <![CDATA[<p>「私」で始まる文章を、書くことも読むこともなくなって、随分と経つ。<br />
構成を考えることなしに文章を書き始めるということも、もう随分とない。</p>

<p>だから、「私」は、今現在、ここに何を書けばいいのか、どう書けばいいのか解らなくなっている。どう書けばいいのか、という点については何とかなるとしても、何を書けばいいのか、という点については、その多くが、個人的過ぎるか、個人的ではなさ過ぎるために、書くには適さないことばかりだ。</p>

<p>だから、今から、Hauschkaの話をしようと思う。</p>

<p>「私」がHauschkaを知ったのは、友人Nにquasimode（これはこれで説明を要するかもしれないけれど、それはまた別の話だ。）についてメールをした際に、「ハウシュカええで」と教わったのがきっかけだ。</p>

<p>それはつい先々週くらいの話で、まだアルバムを一枚聴いたきりだけれど、これが感動に値する体験だった。</p>

<p>Hausckaとは…と簡潔に語ろうとしたら、wikipediaを引用するのがセオリーかもしれないけれど、あいにく日本版のwikipediaにはHauschkaの記事はないようだ。そこで、はてなキーワードをみていただこう。</p>

<p>http://d.hatena.ne.jp/keyword/Hauschka</p>

<p>ということだ。</p>

<p>プリペアード・ピアノという、ピアノの弦に金属などの素材をはさむことによって、音色を変化させる楽器（ピアノとは異なる楽器として扱われるらしい）を用いた音楽を演奏する。</p>

<p>どういうものかは、映像で見た方が早いだろう。</p>

<p><object width="560" height="340"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/b2jbKCLLYvU&hl=ja&fs=1&"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/b2jbKCLLYvU&hl=ja&fs=1&" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="560" height="340"></embed></object></p>

<p>このプリペアード・ピアノを使ったHauschkaの音色が素晴らしい。アナログな楽器でありながら、エレクトロニカっぽい音色になっているし、なんといっても、この叙情性だろう。<br />
どの曲も、まるで映画のような叙情性に溢れていながら、陳腐にはなっていないし、一曲一曲は短いのに、とても深みが感じられる。</p>

<p>ああ、素晴らしい。ずっと聴いていたい。</p>

<p>友人Nとは、その後会って、Hausckaの良さについて語り合ったのだけれど、Nも私も、「夜中に部屋を真っ暗にして、独りで酒飲みながら聴きたい」みたいな音楽が大好きなので、その嗜好性ゆえにHauschkaが好きなのかもしれないという点はあるのかもしれない。<br />
もっとも、Hauschkaには、健康的な爽やかな風も感じられるとは思うのだけれど。</p>

<p>Hauschkaの曲は<br />
オフィシャルHPでもmp3形式で何曲も聴くことができる。<br />
http://www.hauschka-net.de/sound.htm</p>

<p><br />
さて、Hauschkaの話は以上だ。<br />
「私」が何が言いたいか、というと、現在私は、独りで珈琲を飲みながらHauschkaを聴いているということ。そしてそれがとても素晴らしい音楽であるということ。<br />
こういう音楽を知ることができる機会はとても貴重で、感謝するとともにとても不思議な気がするということ。<br />
また、Hauschkaが先月末に来日していたことを知って、「私」は地団駄を踏んで悔しがったということ。</p>

<p>「私」は今のところこういう風に日々を生きているということ。<br />
そんなこと。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

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    <title>錘のような眠気</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mensura-zoili.com/2009/07/post-550.html" />
    <id>tag:blog.mensura-zoili.com,2009://2.635</id>

    <published>2009-07-02T06:36:22Z</published>
    <updated>2011-12-24T04:48:51Z</updated>

    <summary>あれはいつのことだったか。 そういえば、桜桃忌が近い、と、喫茶店の中から通りをゆ...</summary>
    <author>
        <name>huggy</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mensura-zoili.com/">
        <![CDATA[<p>あれはいつのことだったか。<br />
そういえば、桜桃忌が近い、と、喫茶店の中から通りをゆく人々を眺めながら、思ったことからすると、最近といってさしつかえないのかもしれない。</p>

<p>そのとき私が喫茶店で飲んでいたのはアイスコーヒーで、それを飲んだ理由は、嗜好というよりはむしろ実際上の必要からだった。つまり、眠くてしょうがなかったのだ。</p>

<p>以前、といってももうずいぶん前のことのように思うのだけれど、一時期非常に眠りが浅くなって、長く眠れなくなったことがあった。その理由はおそらく、ストレスと呼ばれるものなのだろうけれど、その時眠くてしょうがなくなったのも、同じくストレスというものが原因なのだろう。</p>

<p>同じストレスであっても、その表われ方が、眠れなくなるのと、いくらでも眠ってしまうという、正反対なのはなぜだろう、と私はアイスコーヒーを飲みながら考えていた。</p>

<p>それはおそらく、―少し奇妙な言い方にはなるが―、現実が夢と現実のどちらにあるか、ということによるのだろう。つまり、以前眠れなかったときは、現実は夢の側にあって、起きていることが現実逃避だった。しかし、今は現実が現実の側にあって、眠ることが現実逃避ということだ。</p>

<p>なんだか『フォスフォレッスセンス』みたいだ、と思って、冒頭の桜桃忌が近い、という考えに至ったのだ。</p>

<p>もう随分と前から、10代の頃のような切実さをもって、太宰治を読むことはないだろう、と思っていたのだけれど、もうじき27歳になろうとする頃になっても、10代とはまた違った切実さを、ときに感じることがある。</p>

<p>それは、太宰治の小説に書かれたものそのものに切実さを感じていたのが10代だったとすれば、今はその小説を書いている太宰治の心情を推察して感じる切実さが、今のように思う。<br />
奇しくも、太宰治が『晩年』を発表したのが27歳、そんなことを考えている間に、喫茶店のアイスコーヒーの氷はどんどんと溶けていく。</p>

<p><br />
<blockquote></p>

<p>《元気だ、ギリシアの難破船の船長の話を聞いたんだが、かれは航海日誌の最後にこう走り書きして死んでいた。イマ自分ハ自分ヲマッタク信用シテイル、コウイウ気分デ嵐ト戦ウノハ愉快ダ。そこできみはオーデンのこういう詩をおぼえているかい？　いまおれはそのことを考えている。<br />
　　危険の感覚は失せてはならない<br />
　　道はたしかに短い、また険しい<br />
　　ここから見るとだらだら坂みたいだが。<br />
それじゃ、さよなら、ともかく全力疾走、そしてジャンプだ。錘のような恐怖心からのがれて！》<br />
（大江健三郎　『日常生活の冒険』）</p>

</blockquote>

<p>27歳の私の眠気を覚ますのに必要なのは、太宰治でも、氷が解けて薄くなったアイスコーヒーでもなく、きっと、オーデンなのだろうな。</p>

<p>The sense of danger must not disappear:<br />
The way is certainly both short and steep,<br />
However gradual it looks from here;<br />
Look if you like, but you will have to leap.</p>

<p>27歳になって幾分恐怖心の錘は重くはなったけれど、オーデンを胸に刻んで、跳ばなければならない。</p>

<p>そう思って私は、喫茶店を出た。<br />
桜桃忌前の6月の湿気が肌にまとわり付くようで、まるで海の上を歩いているようだった。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>いくつかの闇</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mensura-zoili.com/2009/06/post-549.html" />
    <id>tag:blog.mensura-zoili.com,2009://2.634</id>

    <published>2009-06-03T14:43:57Z</published>
    <updated>2011-12-21T06:15:44Z</updated>

    <summary>今の自分には、いくつかの意味で闇が足りない、と思った。 そのうちのひとつは、９０...</summary>
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        <name>huggy</name>
        
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        <category term="2.映画" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>今の自分には、いくつかの意味で闇が足りない、と思った。</p>

<p>そのうちのひとつは、９０分から１８０分くらいの間の闇で補給することがきっとできる、と思って、最近行きそびれていた映画館へと向かった。</p>

<p>5/29　シネマロサにて『グラントリノ』</p>

<p>私が信頼している何人かの映画評論家が、この作品を語ることに対してためらいを感じるということを書いていたことがよく理解できた。</p>

<p>つまり、この映画について論じるということは、俳優クリント・イーストウッドとは何なのか、監督クリント・イーストウッドとは何なのか、という問いに答えなければならないということにほかならないからだ。<br />
そしてそれは多くの部分で、アメリカ映画とは、ひいてはアメリカとはという問いに対する答えと重なる。</p>

<p>これだけ大きな問いを解いて、説いてみせることこそが、映画評論家の役割であると知っている、つまり、良心的な映画評論家であれば、その困難さにためらいを感じるのはもっともだと思う。</p>

<p>この映画がすばらしいのは、そのようなクリント・イーストウッドとは何なのか、という問いに対する明確な答えを持っていなくても、十二分にすばらしさが理解できるということだ。</p>

<p>話の筋はシンプルだし、わかりやすい。難解な描写は何一つない。<br />
言わんとしているところもシンプルだ。</p>

<p>けれども、恐ろしいほどに深みがある。</p>

<p>……やはり私もこの作品に対して語る言葉を持たないようだ。</p>

<p>少し思ったのは、今までの自分の作品の総まとめ的な作品でありながら、それをひとつの作品としてまとめているという意味で『さようなら、私の本よ』に似ているかもしれないと思ったのだけれど、<br />
どうやら近年の大江健三郎作品に対しては、大江健三郎の政治的主張と一体として拒否反応を示されていることが多いようなので、このような比喩は多くの人には残念ながら伝わらないのだろう。</p>

<p>5/31　早稲田松竹にて『バットマン・ビギンズ』『ダークナイト』</p>

<p>『ダークナイト』<br />
この作品をロードショーで見逃しているということの一点をとっても、少なくとも私には映画好きという資格はないと思っていたのだけれど、何とか映画館で観られてよかった。同じことは『グラントリノ』に対しても思っている。<br />
ジョーカー！ヒースレジャーの、ジョーカー！！<br />
あのパトカー箱乗りのシーン！！</p>

<p><br />
少し闇を補給できた。<br />
ほかのいくつかの意味で足りない闇については、自分で何とかしないといけない。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>ずっと夢を見て、今も見てる―daydream believer</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mensura-zoili.com/2009/05/daydream-believ.html" />
    <id>tag:blog.mensura-zoili.com,2009://2.633</id>

    <published>2009-05-03T16:11:12Z</published>
    <updated>2011-12-21T06:15:40Z</updated>

    <summary>この1週間で少し睡眠不足だったので、昨日は家に帰ったら夕食もとらずに眠った。 だ...</summary>
    <author>
        <name>huggy</name>
        
    </author>
    
        <category term="1.フィクショナルな日常" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="4.音楽" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mensura-zoili.com/">
        <![CDATA[<p>この1週間で少し睡眠不足だったので、昨日は家に帰ったら夕食もとらずに眠った。<br />
だるくなるくらいに眠って、今朝目を覚ましてラジオをつけたら、忌野清志郎の訃報が伝えられていた。</p>

<p>うそだろ、忌野清志郎が死ぬなんて。</p>

<p>きっと、寝すぎたから、頭がどうかしたんだ、そう思ってインターネットのニュースを見ても、やっぱり大きく扱われている。今まで、有名人の訃報が伝えられて、それを聞いて「ご冥福を」と言う人の気持ちが良くわからなかった。おそらく、自分が影響を受けたけれど、面識のない人の訃報というのが、今までなかったから、想像できなかったのだろうと思う。<br />
私は後述するように、忌野清志郎にはとても大きな影響を受けている。そして、今回同思ったかというと、整理しては言えない。それでも、やっぱり衝撃は大きい。それは、きっと、忌野清志郎が、自分の一部になっていたからだと思う。</p>

<p>私が忌野清志郎を初めて知ったのは、中学生の頃だった。TVで流れていた"スローバラード"を聴いて衝撃を受けた。あの声、あの歌詞、あのメロディ。そしてその曲は、随分と昔のヒット曲だということ、今は解散したRCサクセションというバンドの曲だということ、忌野清志郎という人は今も音楽を続けているということを知った。<br />
私はそれから、tsutayaに通って、RCサクセションと忌野清志郎のCDを片っ端から借りた。当時の小遣いでは、すべてのCDを買うことはできなかったし、私はとにかくすぐにでも少しでも多く彼の曲を聴きたかったからだ。</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/qVbv0gEO70s&hl=ja&fs=1&rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/qVbv0gEO70s&hl=ja&fs=1&rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p></p>

<p>そして、daydream believerだった中学生の私は、周りがラルクとかを聴いている間、ずっと忌野清志郎とRCサクセションの曲を聴き続けた。今思えば、他人と違うものを聴いてみたいという、思春期独特の自意識の発露とも思えるけれど、発売禁止となった過去の曲のエピソードなんかはとてもかっこよかったし、かっこいい大人というのは、こういうものだと思っていた。</p>

<p>そして、高校生になっても、聴き続けていると、君が代のパンクバージョンが発売禁止になって、インディーズから発売されるというニュースを聞いた。私はやっぱり、とても嬉しくて、このCDは買った。今思えば、初めて買った忌野清志郎のCDがこれで、これ以降私は、同時代の忌野清志郎を追い続けた。</p>

<p>今回の訃報で、違和感を感じたのは、やっぱり多数のニュースは、RCサクセションの忌野清志郎としての扱いで、1990年代以降の曲については触れられていなかったように思うからだ。私にとっての忌野清志郎は、同時代の音楽であって、だからこそとてもかっこよかった。</p>

<p>その思いは、大学生になっても変わらず、東京に出てきて一番初めに入ったライブも、忌野清志郎だった。当時ラフィータフィーというバンドを結成していて、その2度目の全国ツアーの東京公演だ。ライブハウスでの全国ツアーというコンセプトだったこのライブも、渋谷のライブハウスで行われていて、とても近くに、中学生から聴き続けた忌野清志郎がいるということが、何か信じられないことのように思えた。<br />
ライブの最後には、出口でメンバーが挨拶をして送り出すというのも、夢の世界のようだった。<br />
そして、Tシャツがビショビショになるほど激しく動いた私は、帰り着いた家の玄関で、両足が攣った。</p>

<p>そのライブで、とても印象的だった場面がある。<br />
それは、"夢"という曲の前のMCだ。<br />
俺には夢がある！俺には夢があるんだ！I have a dream！<br />
と叫んだあとで、<br />
世界中から、戦争がなくなることだ！と忌野清志郎は叫んだ。</p>

<p>そして、その後に始まったのは、その激しさと対照的なくらいに、穏やかで、美しい曲だった。</p>

<blockquote>

<p>夢があるのさ　ひとつの夢が<br />
遠い遠い道でも大丈夫さ<br />
夢をこの夢を忘れないから</p>

<p>夢にのらないか　人は笑うだろ<br />
ちっぽけな夢だけど　大丈夫さ<br />
夢をこの夢を信じられるかい？</p>

<p>夢はそのままじゃただの夢のまま<br />
誰かがそばに居なけりゃ<br />
この夢が可愛そうだよ<br />
この夢が可愛そうだよ</p>

<p>君は笑うかな？　おかしな夢さ<br />
力を合わせりゃ　大丈夫さ<br />
夢をこの夢を信じられるかい？<br />
（ラフィータフィー　"夢"）<br />
</blockquote></p>

<p>このMCと曲に、今思えばとても忌野清志郎らしさが表れていたのだと思う。つまり、原発反対の歌や、FM東京批判の歌や、北朝鮮批判の歌や、君が代など、様々の話題になった「怒りの歌」の側面と、スローバラードなどのセンチメンタルな側面と。<br />
その両面が、矛盾せずに同時に存在しているからこそ、とても魅力があったし、私もああいう大人になりたいと思ったのだろう。</p>

<p>その後も、新しいアルバムが出たら買い、絵本のサイン会にも行って直筆サインを貰ったりした。<br />
私が行ったツアーの前年のツアーのドキュメンタリー映画『不確かなメロディー』は劇場で観たし、DVDだって買った。<br />
（このエントリーは、DVDを酒を飲みながら観た後に書いている。）</p>

<p>つまり、私は、21世紀の忌野清志郎のファンだったわけだ。</p>

<p>一番いいアルバムは"Ruffy Tuffy"だと信じているし、"トランジスタラジオ"や"雨上がりの夜空に"よりも、このアルバムに収録されている曲の方が好きだ。</p>

<p>先ほど引用した"夢"は素晴らしすぎるし、"Sweet Lovin'"もとても良い。<br />
また、このアルバムではないけれど、"水の泡"を失恋したときに聴いたりしたっけか。<br />
斑尾高原まで自転車で行ったときも、Ruffy Tuffyのステッカーを自転車に貼っていった。</p>

<p>ああ、何だかいかに自分がファンか、を書いているだけのように思う。つまらないな。</p>

<p><br />
そういえば、最近、忌野清志郎に関する不思議なエピソードがあった。</p>

<p>先日池袋のお好み焼屋でお好み焼を食べながら飲んでいたら、BGMに流れていた曲が、忌野清志郎がタイマーズ名義でカバーした"デイ・ドリーム・ビリーバー"だった。</p>

<p>この曲も私は最も好きな曲の一つなので、一緒に飲んでいた人相手に、ご機嫌に話したりしてしまった。</p>

<p>少し暑苦しかったかと反省していたら、翌日、全く別の、私が忌野清志郎のファンだと知っている友人から、忌野清志郎が歌っている"デイ・ドリーム・ビリーバー"ってどのアルバムに入っている？というメールが届いた。</p>

<p>2日連続で、忌野清志郎、しかも"デイ・ドリーム・ビリーバー"の話というのが、なんだかとても不思議だった。</p>

<p><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/LZycXT1iCRA&hl=ja&fs=1&rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/LZycXT1iCRA&hl=ja&fs=1&rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></p>

<p></p>

<p>さて、今、私は紆余曲折ありながらも、夢をもって生きていて、その夢を話した人には、全くdaydream believerかのように見れるけれど、なんだかんだいって、此処にいるのは、東京に来て間もない頃にきいた、忌野清志郎の俺には夢がある。夢もっているか！という問いかけの影響はとても大きいのかもしれない、と思っている。</p>

<p>これだけ大きな影響を受けた忌野清志郎の死を聞いて、結局私はどう思ったか。身近な人の死というのとは、少し違う。なんとも不思議な衝撃だ。</p>

<p>もう忌野清志郎の新譜が聞けないし、ライブにもいけないのは残念でならない。何より、忌野清志郎という表現者がいなくなってしまったのはとても残念だ。</p>

<p>けれど、今は、忌野清志郎から影響を受けた、夢を、夢のそばにいようと思う。</p>

<p>そういえば、"デイ・ドリーム・ビリーバー"は、以下の歌詞で締めくくられる。</p>

<p><br />
<blockquote></p>

<p>ずっと夢見させてくれてありがとう　<br />
僕は　daydream believer　そんで　彼女がQueen</p>

<p>（ザ・タイマーズ　"デイ・ドリーム・ビリーバー"）<br />
</blockquote></p>

<p>ずっと夢見させてくれてありがとう。<br />
私はまだdaydream believerだし、これからもたぶんそうだ。そんで、あなたは私の中でのロックンロールKINGだった。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>セットリスト</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mensura-zoili.com/2009/04/post-548.html" />
    <id>tag:blog.mensura-zoili.com,2009://2.632</id>

    <published>2009-04-16T13:58:10Z</published>
    <updated>2011-08-16T11:20:53Z</updated>

    <summary>もうすぐ２ヶ月何も書いていないことになる。 いくつもの書きそびれたことは少し惜し...</summary>
    <author>
        <name>huggy</name>
        
    </author>
    
        <category term="1.フィクショナルな日常" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mensura-zoili.com/">
        <![CDATA[<p>もうすぐ２ヶ月何も書いていないことになる。</p>

<p>いくつもの書きそびれたことは少し惜しいけれど、もうそれをそのままの形で書くことはできない。</p>

<p>暇を見て書き足していければよいな。</p>

<p>時系列順に、思い出せることで、かつ、書けること。</p>

<p>『落下の王国』　飯田橋ギンレイホールにて</p>

<p>Brad Mehldau Trio ライブ　サントリーホールにて</p>

<blockquote>

<p>Suntory Hall 2009.3.3 Start at 19:07</p>

<p>Set List<br />
1. Dream Sketch (B.Mehldau) 11:40<br />
2. Twiggy (B.Mehldau) 8:40<br />
3. Aquaman (B.Mehldau) 11:15<br />
4. Wyatt's Eulogy for George Hanson (B.Mehldau) 12:20<br />
5. My Ship (Weill/Gershwin) 16:50<br />
6. Holland (Sufjan Stevens) 12:10</p>

<p>Encore<br />
1. Airegin (S.Rollins) 13:40<br />
2. Knives Out (Radiohead) 12:15<br />
3. Still Crazy After All These Years (P.Simon) 7:15<br />
4. No Moon At All (D.A.Mann/R.Evans) 10:20</p>

<p>（http://bmt.harmonyjapan.net/?eid=1092576）<br />
</blockquote></p>

<p>ダイアログ・イン・ザ・ダーク　TOKYO 2009</p>

<p>『ウォッチメン』　池袋東急にて</p>

<p>Sの壮行会のこと。</p>

<p>結婚式の二次会に一日に2回参加したこと。</p>

<p><br />
直近の出来事でいえば、携帯をまた壊した。<br />
今度は水攻め。</p>

<p>折りしも外は夏日で快晴。<br />
洗濯物を干すごとく、携帯電話を干すと、見事に復旧した。</p>

<p>一応交換に出した。<br />
アドレス帳はオンラインでバックアップを取っているので問題はないし、壊れてもかまわないかな、と思ったけれど、猫の写真が少し惜しかったので、バックアップをとった。</p>

<p>追記できればいいな。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>あなたの人生は平均すれば勝っていますか負けていますか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.mensura-zoili.com/2009/02/post-547.html" />
    <id>tag:blog.mensura-zoili.com,2009://2.631</id>

    <published>2009-02-18T06:36:30Z</published>
    <updated>2011-08-16T11:20:53Z</updated>

    <summary>『ロルナの祈り』の感想を書いていて、やはり知らず知らずのうちに、過去の作品と比べ...</summary>
    <author>
        <name>huggy</name>
        
    </author>
    
        <category term="2.映画" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mensura-zoili.com/">
        <![CDATA[<p>『ロルナの祈り』の感想を書いていて、やはり知らず知らずのうちに、過去の作品と比べて優れているかどうかを検討しようとしている自分に気が付いた。</p>

<p>もう、星幾つなんて発想は遠い昔にやめたはずなのに。</p>

<p><br />
私が映画を観て、星幾つと表現しなくなった時期と、映画館に観にいきだした時期は重なる。<br />
つまり、映画館でたくさん映画を観るうちに、この映画が星幾つかなんて、ばかばかしい決め方だと思ったからだ。</p>

<p><br />
その理由は、星５つの映画が星1つの映画に比べて、単純に５倍素晴らしいといえるだけの共通の指標があるのか、ということだ。<br />
おそらく、そんな基準は、無いか、基準として機能しないくらいの曖昧なものにすぎない。考えうるのは、こちらよりもこちらのほうが面白かった、というような。そうであれば、どの程度面白かったかを数値化するよりも、どのように面白かったかを言語化したほうがよほど有意義だと私は思う。<br />
また、同じ星3つの映画であっても、映画を観る経験はまるで違うはずだ。<br />
『ゴッド・ファーザー』と『スター・ウォーズ』はどちらも、オールタイムベストではともに上位に入っているけれど、この両者の映画体験が同じであるなんて暴論はないだろう。</p>

<p>何より、あなたの映画体験はその星の種類だけしかないのか、ということが疑問なのだ。</p>

<p>確かに、このように単純化した指標であらわしたいという欲求はわからなくもない。</p>

<p>ここで思い出したのが寺山修司の言葉だ。<br />
原典も引用しないで問題だけれど、競馬好きの寺山修司に対して記者が、あなたの競馬は平均すると勝っていますか、負けていますか、と聞いたのに対して、寺山修司は、なぜ平均するんだ。あなたの人生は平均すると勝っていますか、負けていますか、と聞いたのだそうだ。</p>

<p>寺山修司が言いたかったのは、その個々が独特の体験であるはずの競馬を、経済的な勝ち負けという単純な指標で二分することの愚かさなのだろう。</p>

<p>しかし、これを端的にあらわした、「あなたの人生は平均すると勝っていますか、負けていますか」という問いも、現在においては、カウンターとして弱くなっているのかもしれない。</p>

<p>なぜなら、巷に溢れている「勝ち組」「負け組」という単純な二分法は、現に人生を平均して勝っているか負けているかを決めるものだからだ。</p>

<p>私は勝ち負けで物事を決めるのにどうも馴染めない。</p>

<p>ただし、このような単純な分類が、力をもつことは否定できない。<br />
映画の星獲り評だってある程度盛り上がることは確かだし、勝ち負けのシンプルな二分法が、非常に強度を持つことは否定できないように思う。</p>

<p>けれど、私は、寺山修司のこの言葉に強くひきつけられてしまう。<br />
それだけ、強度が弱いことなのだろう、と昔は思っていたし、勝ち負けに興味がないということは、人としての生存能力において劣っているように感じていたけれど、今は、別の強度を身につけたいものだと思うようになった。</p>

<p>まあ、そんな、こんな。</p>

<p>だから、序列化したい欲求にときにはかられつつも、今後も私は映画に星をつけることは無いだろう。</p>]]>
        
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    <title>ロルナの祈り―「わたしたち」をどう築くか</title>
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    <published>2009-02-15T14:59:45Z</published>
    <updated>2011-08-16T11:20:53Z</updated>

    <summary>恵比寿ガーデンシネマで『ロルナの祈り』を観てきた。 公開から一ヶ月も経っていない...</summary>
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        <name>huggy</name>
        
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        <category term="2.映画" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>恵比寿ガーデンシネマで『ロルナの祈り』を観てきた。</p>

<p>公開から一ヶ月も経っていないのに、館内はガラガラだった。<br />
大丈夫なのだろうか。</p>

<p></p>

<p>・感想<br />
率直な感想としては、過去の『イゴールの約束』『ロゼッタ』『息子のまなざし』『ある子供』のどれもにあった、ナイフで心を削ぎ切りにされるような、ヒリヒリとした感覚が少し薄かった。</p>

<p>今までの4作（厳密には、それ以前にも劇映画を撮っているけれど、観られないのと、本人たちも確か失敗作だと語っていた気がするので割愛）と違うのは、近作もやはりカンヌ映画祭で賞を獲ったけれど、その賞が「脚本賞」だということが大きいのではないだろうか。</p>

<p>今までの4作は、一見荒々しいハンディの映像のようにみえても、とても緻密に作られているし、そこを否定する人はいないだろう。しかし、それらの作品は、脚本が優れているというものではなかったように思う。つまり、どれも筋自体は、とてもシンプルなのだ。もちろん、それは作品がシンプルであることは意味しない。そこが映画という面白さを伝えてくれるようで、この人たちの作品がすきなのだけれど。</p>

<p>しかし、近作では、脚本が賞を獲っているように、とてもよくできている。<br />
冒頭から、薄皮を剥くように、偽装結婚を行っていること、また、次の偽装結婚が控えていること。などが徐々に明らかとなっていく。<br />
もちろん、それだけならば、今までのダルデンヌ兄弟の作品だって、何ら説明的なものはなく、徐々に明かされていたのであって、近作だけ違うということにはならないだろう。<br />
しかし、近作では、話がそう展開するのか、と驚かされるところがあるし、なんというか、特に「話の筋」に驚かされることが多かったように思う。</p>

<p>それが是か非かという点は、これだけでは判断できないだろう。話の筋に驚かされたから素晴らしいとか、あるいはそうでないとか、いうことは意味が無い。<br />
それこそ、映画は複合芸術なのだから。</p>

<p>ただ、今までのダルデンヌ兄弟の作品とは違うということは確かなように思う。<br />
ダルデンヌ兄弟は、まだまだ変わるというのだろうか。</p>

<p><br />
そこで、映画自体を鑑賞した感想としては、前半部分は今までのダルデンヌ兄弟らしい雰囲気だったように思う。ただ、やたらと「鍵」と「箱」のイメージが目立った。</p>

<p>アルタ・ドブロシは自らの部屋に鍵をかけて、さらに、ベッドの枕元の引き出しにも厳重に鍵をかける。中に大したものは入ってなさそうに思えるのに。そして、ジェレミー・レニエがベッドの「中」に入ったときも、激怒する。ベッドの「上」には寝てもいいけれど、「中」はやめて、と。</p>

<p>ここから感じられるのは、アルタ・ドブロシとジェレミー・レニエとの関係だろう。つまり、彼らを隔てるのは鍵がかかった寝室のドアであり、引き出しの鍵であり、ベッドのシーツだったりする。アルタ・ドブロシはそこに一線をひくことによって、ジェレミー・レニエとの関係を断絶しているように思える。</p>

<p>それに対して、ジェレミー・レニエは、この隔てているものを取り払ってほしいと哀願する。それはアルタ・ドブロシが寝室に入ってから、何度もドア越しに呼びかける声であったり、また、アルタ・ドブロシが出かける際に、この部屋ごと鍵で閉じ込めてくれと頼む姿であったりする。つまり、ジェレミー・レニエにとっては、アルタ・ドブロシとジェレミー・レニエは、「わたしたち」なのであって、隔てているものというのは、外部と「わたしたち」を隔てている、玄関のドアと鍵に過ぎないのだ。</p>

<p>このすれ違いは、徐々に近づき、ジェレミー・レニエが売人から再び麻薬を買おうとする場面でついに、交わることとなる。つまり、麻薬の売人を追い出したアルタ・ドブロシは、自ら部屋に鍵をかけて、その鍵を窓から捨ててしまう。これによって、アルタ・ドブロシとジェレミー・レニエは「わたしたち」となり、世界に対して、ドアと鍵によって隔てられた存在となる。<br />
そして、それでは足りぬとばかりに、さらに、二人を隔てる衣服をも、また、肉体の壁をも、二人は無言のまま、取り払おうとする。</p>

<p>そして、次の場面で、彼らは、鍵屋で合鍵を作る。もはやそれらは、ジェレミー・レニエとアルタ・ドブロシとを隔てるものではなく、二人と世界を隔てるものであるということを明らかにするように、二人はその代金を折半する。</p>

<p>その後の、ジェレミー・レニエが自転車で軽やかに走り、その後を笑顔で追いかけるアルタ・ドブロシの場面の素晴らしさといったらどうだろう！<br />
この場面は予告篇でも流れていたのだけれど、この映像だけでも、素晴らしさが伝わるように思う。</p>

<p><br />
さて、その後衝撃的な展開が訪れる。<br />
以下は、この作品が脚本賞を獲っていることからもわかるように、脚本上重要な展開への言及を含んでいます。<br />
つまり、ネタばれ注意です。</p>

<p><br />
衝撃的な展開とは、余りにも渾然と姿を消されたジェレミー・レニエである。あまりにも突然のジェレミー・レニエの消失に、観客が戸惑うのと同様に、アルタ・ドブロシも戸惑っているはずなのだけれど、必死に、壁を再構築しようとする。</p>

<p>今までは、ファブリツィオ・ロンギオーヌたちとは「わたしたち」であったアルタ・ドブロシは、ジェレミー・レニエを殺されて、一体どのように「わたしたち」を構成するのか。</p>

<p>この揺れと迷いを、演じるアルタ・ドブロシは素晴らしいと思った。</p>

<p>結局、アルタ・ドブロシは、ファブリツィオ・ロンギオーヌと「わたしたち」を構成するのではなく、自らの罪と「わたしたち」を構成するみちを選ぶ。</p>

<p>つまり、彼女にとってジェレミー・レニエを救えなかったという罪が、形を変えて現れた、彼女の内部にやどったものと。<br />
ここでアルタ・ドブロシとその子との「わたしたち」の関係は、今まで、世界対「わたしたち」という関係ではなく、世界対アルタ・ドブロシ、そしてその「内部」に子供がいる、と言う関係にある。</p>

<p>ここで、アルタ・ドブロシは、外部と彼女の子供とを隔てる、鍵または壁になろうとしたということなのだろう。<br />
それを示すように、アルタ・ドブロシは逃亡中に、山小屋を見つけ、必死に鍵を閉め、子供を守るように、丸まって眠る。</p>

<p>さて、アルタ・ドブロシが逃げる場面で、「わたしたちを殺そうとしているのよ」とか「もっと遠くに」とか説明するのが非常に違和感があった。<br />
なぜなら、ダルデンヌ兄弟は、すべてを映像で表しているのであって、今まで説明的な台詞なんて、一つもなかったからだ。<br />
この台詞は結局、ファブリツィオ・ロンギオーヌたちがアルタ・ドブロシを殺そうとしているという説明をするための台詞なのではなく、アルタ・ドブロシが、その子供と二人でいる、ということを示すための台詞なのだろう。つまり、会話をさせることによって、彼女の内部にもう一人、「わたしたち」がいると示す台詞なのだと思う。</p>

<p>それにしても、今までのダルデンヌ兄弟の作風と異なることは確かなように思う。</p>

<p>今思えば、『ある子供』から、少し異なった傾向はあったのかもしれない。<br />
50歳を超えて期待させてくれるなんて。</p>

<p><br />
さて、この作品が今までのダルデンヌ兄弟の作品よりも素晴らしいかどうか。それに対しては判断に戸惑ってしまう。</p>

<p>つまり、今までの作品のような、ナイフで心を削ぎ切りにされるような感覚は無いけれど、それでも、やはり演出は緻密だし、脚本の面白さという点も加わっている。そして何より、エンディングで音楽が流れた！！</p>

<p>私は、少なくともこの作品を観ることができて、その独特の美しさを鑑賞できて、素晴らしかったと思う。それにとどめておこう。</p>

<p>ちなみに、この作品の原題は、"Le silence de Lorna"だ。silenceであって、祈りではない。<br />
確かに、silenceを沈黙と訳してしまうと、ロルナが懸命に「わたしたち」を構成しようとする能動的な動きの印象をうまくとらえきれない。ロルナの、何だろう。静けさのようでありながら、弱さを含んでいつつも結構強いもの。案外、祈りという訳は適切だったのかもしれない。</p>]]>
        
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    <title>コミュニケーション不全</title>
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    <id>tag:blog.mensura-zoili.com,2009://2.629</id>

    <published>2009-01-18T13:05:58Z</published>
    <updated>2011-08-16T11:20:53Z</updated>

    <summary>もう何度目だろう。通信機器が故障するのは。 ちょっとひどすぎるね。 毎回毎回壊れ...</summary>
    <author>
        <name>huggy</name>
        
    </author>
    
    
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        <![CDATA[<p>もう何度目だろう。通信機器が故障するのは。<br />
ちょっとひどすぎるね。<br />
毎回毎回壊れる機器も原因も違うというのは。</p>

<p><br />
このエントリーだって、通信される可能性はきわめて低い。</p>

<p>書く時間も無いのだから、ちょうどいいのかもしれないけれど。</p>

<p>あとで書いてみたいことのメモを残しておく。</p>

<p>歌舞伎のこと</p>

<p>見た夢のこと。</p>

<p>高校の頃のこと。</p>

<p>まあ、こんなこといって書けたことはないのだけれど。</p>

<p><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img alt="TS3G0073.JPG" src="http://blog.mensura-zoili.com/TS3G0073.JPG" width="480" height="640" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;"/></span></p>]]>
        
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    <title>明けましたか</title>
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    <id>tag:blog.mensura-zoili.com,2009://2.627</id>

    <published>2009-01-01T14:59:01Z</published>
    <updated>2011-12-24T05:59:11Z</updated>

    <summary>明けた。 ので、普通の日記でも一日くらいは書こうと思う。 ****** コンビニ...</summary>
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        <name>huggy</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.mensura-zoili.com/">
        <![CDATA[<p>明けた。</p>

<p>ので、普通の日記でも一日くらいは書こうと思う。</p>

<p>******</p>

<p>コンビニエンスストアで、コンタクトレンズの保存液と『新ナニワ金融道』をレジで会計をすると、その額が千百数十円。<br />
私が1200円を出すと、年始早々働いている店員は、12000円と入力をして、レジスターの液晶には１万余のつり銭額が表示される。それを見た店員は、自らの誤りに気づき、―ウワーッ！　と言い、上半身を仰け反らせた。</p>

<p>そう、私は大阪にいるのだ。</p>

<p>******</p>

<p>カレンダーの関係で、週末がちょうどいい時期に来たこともあって、今年は３０日には新幹線はそうは混まないだろうと思って、東京駅に着くと、人があふれていた。</p>

<p>皆大きな荷物をもって、一様にくたびれた顔をしている。<br />
なんでも、新幹線のダイヤが乱れているようだ。</p>

<p>いつだって気まぐれな時間に帰省するので、私はほとんど自由席で帰っている。<br />
まずは新幹線のチケットを買おうと思って、自動券売機のところまで行くと、並ばずに買える。<br />
どうやら、数十分前に新幹線は運転を再開しているらしい。</p>

<p>まあ、自由席にでも並んでみるか、と思い、電光掲示板の一番上に出ている新幹線の発車ホームに行き、その次に発車する新幹線を狙う。</p>

<p>もしくは、さらにもう一本後の列車も考えていたのだけれど、案外次の新幹線の自由席に座れた。</p>

<p>結局、普段の年末年始の帰省と大して変わらない時間で、自由席に座れたように思う。</p>

<p>駅の混雑がなんだか他人事のようだった。</p>

<p>******</p>

<p>新幹線の中では、携帯電話のメールアドレスの変更をしていた。</p>

<p>ある日を境に、急に求めていない類の出会いを勧めるメールが殺到するようになったのだ。<br />
変えよう変えようと思いながら、この日にいたってしまったのは、メールアドレス変更のお知らせを送るのが面倒だったというのが唯一の理由だ。</p>

<p>サークルで連絡係のようなことをしたことがあったりするので、イベント的な飲み会や、サークルの関係で連絡を取った人のアドレス登録がいくつもある。</p>

<p>こういう人たちに私がいまさらメールアドレス変更のお知らせを一方的に送ったところで、それらの人々を困惑させてしまわないだろうか。<br />
なんというか、陳腐なメールになりはしないだろうか。</p>

<p>そういう思いがあったのだ。<br />
ならば、そういう人にはメールを送らなければいい。それはシンプルな解決策だ。<br />
しかし、その線引きは容易ではない。<br />
人付き合いの濃淡は、二分で割り切れるものでもない。</p>

<p>この人には知らせたくない、という思いは無かった。というと言い訳めいているだろうか。<br />
何に対する言い訳だろう。</p>

<p>結局、一人一人送るかどうかを思案しなければならなのだろう、と思っているうちに、師走も極まってしまい、私は混雑した新幹線の自由席に座り、今日こそメールアドレスを変更してしまおう、と携帯電話を握り締めるにいたったという次第だ。</p>

<p>******</p>

<p>とりあえずアドレス帳の「あ行」から順にメールを送っていく。それでも、迷う人というのは大勢いる。</p>

<p>途中からは考えるのが面倒になってしまったので、結局送った人とそうでない人との区別には、一貫した基準がなくなってしまった。</p>

<p>結局、結末は陳腐だ。</p>

<p>******</p>

<p>私とほぼ同じ時間に同じ路線の新幹線に乗っていたマキノとメールをした。</p>

<p>******</p>

<p>新幹線内の電光掲示板で、ダイヤの乱れの原因が、小田原駅で女性が「触車」したためだと知る。</p>

<p>「触車」とはつまり、轢死したということだろう。</p>

<p>******</p>

<p>年が明けて、私が送ったメールアドレス変更のお知らせに、丁寧にも返信をくれる人々がいた。</p>

<p>何となく、嬉しいものだ。</p>

<p>******</p>

<p>今回の帰省の目的のひとつである、鯛のアラ煮のレシピを祖母から聞き出す。</p>

<p>そのまま過ぎて困惑する。</p>

<p>おそらく、祖母が言うまでもないと思って省略している過程やコツがおそらくはあって、そしておそらく私はそれが何であるかすら知らない。</p>

<p>とりあえずはやってみることだ。</p>

<p>******</p>

<p>NHKで放送のニューイヤーコンサートの指揮者の小芝居の部分が面白かった。</p>

<p>******</p>

<p>大晦日には父と墓参りに行った。</p>

<p>お盆には行かないのかと聞くと、お盆には魂？は家に来るのだから、墓は空だから、参っても仕方がない、と言われ、なるほどと思う。</p>

<p>そういうところが父にはある。</p>

<p>帰りに地元の串カツ屋で、昼過ぎからビールをひっかける。</p>

<p>んまい。</p>

<p>******</p>

<p>「春が来るたびに　生まれかわれるなら　そんな簡単な話はない」というSIONの歌"チャラ"の歌詞をふと思い出した。</p>

<p>******</p>

<p>美の壺傑作選の「鶏」がマニアックで大変良かった。</p>

<p>テレビジョンが壊れて以来、テレビジョンを見なくなって数年経つけれど、美の壺が見られないということが、いまだに口惜しい。</p>

<p>NHKのオンデマンド配信は、美の壺をラインナップに加えるべきだと思う。</p>

<p>ただ、BGMのジャズ（これも魅力だ）の権利関係が問題なのだろうか。</p>

<p>鶏の美しさが解るようになるのだから、すごい番組だ。</p>

<p>******</p>

<p>あけましておめでとうございます。</p>

<p>******</p>

<p>さて、寝る。</p>

<p>なぜだか数年前から、実家では良く眠れなくなってしまった。</p>

<p>つまりは、そういうことなのだろう。</p>

<p>******</p>]]>
        
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