月光仮面が来ないのと、電話をかけてくる人はいないけれど、近頃本当に「ついてない」としか言いようがないようなことばかり起こっていて、―いい事ばかりはありゃしない−と唄いたくもなる。
昨日は特にひどくて、夜中にamazonで本を買おうとして、財布からクレジットカードを探すが見つからず、青くなる。財布内のあるべきポケットにはなく、部屋中のどこを探してもない。すわ、紛失、もしくは、盗難。と思って、最後にクレジットカードを使ったときを思い出すともう一月以上昔だ。
身も心も青も青で紺碧のブルーになって、24時間対応のコールセンターに電話をかけて遅ればせながらカードをとめて頂いたところ、相手が仰るには、遺失物届けを出せば保険で保障されるかもしれないとのこと。
少し赤みがかったブルーになって、ふるふると振るえながら、自転車にマグライトをひっつけて交番へと向かっていると、青信号で、横断歩道の自転車走行部分を、ライトを点灯させて、走っている、私の横からタクシーが急に左折をかましてきて、接触。
大事には至らなかったものの、きまずく、文句の一つでも、と思うことすら青い私には不可能であった。
そして何とか遺失物届け、遺失の期間一ヶ月、場所、東京都内のいずれか、というあまりに膨大な届出を出した後に、け帰って、眠った。
そして今朝早く、外出する用事があったので、自転車に乗ろうとすると、パンクしている。
思い当たる節は一つ、昨日のタクシーとの接触だ。
自転車で間に合う時間ではあったが、電車では間に合わない時間。
やむなく朝からタクシーを使う。
なんで。
こんな具合。今年は本当にひどい。
冷蔵庫も壊れるし、そういえば、最近パソコンが壊れて、部品を交換して直ったかと思えば、次はルーターのファームウェアの異常か何かで、ネットが不通だ。
今は出先でこれを書いている。
今年は確か本厄ではなかったと思うのだけれど、私は今年、生き残れるのだろうか。
雷でも落ちても不思議はない。
まあ、なんだかんだ言っても、幸福は量ではなく、質なのだから、私はなんだかんだいって幸福なのだと思う。
それくらい思わせていただきたい。
いい事ばかりは ありゃしないなあ、全く。
投稿者 huggy : 16:30 | archives
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内容に全く関係ないコメントで恐縮ですが、月光仮面の主題歌を思い出すに、「月光仮面のおじさんは正義の味方よ良い人よ」と歌われているので、月光仮面はおじさんなのですね。颯爽としたヒーロー像が、急にビール腹のヒーローのイメージに取って代わられてしまった。
投稿者 ほくと : 2007年12月 9日 01:50
よく読んだら、不幸の連続ですか。
たまたま波が来たんですかね。
お大事に。
投稿者 ほくと : 2007年12月 9日 02:42
長らく放置してすみません。
月光仮面といえば、寺山修司のエッセイが面白かったので、引用します。
……彼の「正義」は、彼の空想的な現実原則の中で生成されたものではなく、あくまでも、できあがっている正義なのであり、「もう一つの現実」は、現実としてではなく、ただのモードとして、マフラーと仮面とオートバイを支給する役割しかはたしていないのだ。したがって、独身で、外食生活をし、手淫常習犯の探偵社の調査員が、マフラーと仮面の威をかりてふりまわす「正義」は、農家の次男坊が警官になってふりまわす「正義」と変るものではなく、ただ警察力の不備を補完する予備権力としてしか月光仮面の意味は存在しないのであった。……(略)……
…マフラーと仮面という、「制服」で出動してくる月光仮面をあてにしていたこともあったような気がする。それは、自己の限界につきあたったとき、その壁を破る「超能力」への期待であり、それを踏台にして、あるがままの自分を超克する―ということにつながるものであった。しかし、それが「正義の味方」であって、だれのためにも力を貸してくれるものではないのだ、と知ったときから疑いがはじまった。「正義」というのは、ただのオプチミスティックな政治用語であり、月光仮面は現体制が雇った用心棒にすぎないと知ったら、「正義の味方だ 良い人だ」というのは警察官募集のキャッチフレーズのように見えはじめたのである。それでも恥ずかしいことに、私の机の抽出しには今でも捨てる機会を逸した月光仮面が入っているのである。
寺山修司「月光仮面」『書を捨てよ、町へ出よう』
なんだか変装癖のある、しがないおじさんのイメージが急速に大きくなってきた。
「正義」の理解によっては、例えば井上達夫みたいに解すれば、きっと月光仮面も単なる予備権力ではないということになるのだろうけれど。
そういえば、小さいころ友達の家で月光仮面を観たおぼろげな記憶があるのけれど、当時放送していたはずもなく、その友人の家には親戚が大勢住んでいたから、そのうちの誰かにオタクがいて、そのコレクションだったのだろうな。
いい体験だった。
あんまりかっこよかったイメージはやっぱりないなあ。
ちなみに、不幸の連続は、単なる注意力散漫の連続に過ぎないと指摘されてから、すっきりとおさまりました。
投稿者 huggy : 2007年12月28日 00:53

