今年は私自身についてというよりはむしろ、私の周囲で、いろいろなことが起こって、そのうちのいくつかはあまり望ましくは無い出来事だった。
それらの望ましくないいくつかの出来事は、私にあと少し何かがあったのなら、何とかなっていたのかもしれない、なんて思うこともあったけれど、結局それも思い上がりなのかもしれない。
たしかに在り得べき生として、あと少しの何かがある私が、望ましくないいくつかの出来事を、回避や解決できていたとしても、あと少しの何かが足りない私はいまのところ、それを悔いたりはしないようにしようと思う。
そして、何とか間にあわせて、足りない何かを手に入れようと思う。
それが、大晦日のせめてもの思い。
来年は佳い年になるといいな、あの人や、あの人や、あなたにとって。
おそらくそのような新年の挨拶の、やがて僕に届くもっともきびしい呼びかけは、かのけだかき翁の叫び声のようではないだろうか? 何事ぞ遅き魂等よ/何等の怠慢ぞ、何ぞかくとゞまるや。その声を聞く時、自分の腰に、一本の滑かなる藺が束ねられているといいのだが……
(大江健三郎『新年の挨拶』収録『カトーの藺草』)


