2008年10月アーカイブ

Prost!

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テントの外のテーブル席に足を伸ばして座って、ビールを一口飲んだ。テントの中のグリルの熱と煙と、そして何より、人の熱気と、それにあてられて柄にも無く少し踊ったせいで熱を帯びた身体に、秋風がとても心地よかった。
その風は海辺だけあって、やはり潮の香りがあって、にもかかわらず、あまりべたべたとした感触はなかった。
テントの中からは相変わらずバンドの演奏と、もう何度目かわからない、
―アイン プロー ジット デ ゲ ミュー トリッヒ カイト―
という合唱が響く。そして続くのは、
―アインス、ツヴァイ、ドライ、ズッファ、プロォースト!―
という掛け声。それとともに鳴り響く、グラスを合わせる音。ところどころでなるガラスの割れて砕ける音。
そんな音に耳を傾けながら、月を眺めていた。あと一日か二日で満月になりそうな月はとても明るく照っていた。そんな月を眺めていると、風の心地よさと、ほろ酔いを少々過ぎた酔いとがあいまって、身体の輪郭がぼやけるようで、ああ、とても気持ちがよいなあ、としみじみ感じた。
この感覚は、何かに似ているな、と思ってぼんやり考えていると、それは映画館でライトが落ちて本編が始まる瞬間の感覚にも少し似ていた。そして、それはまた、先日の体験―コンタクトレンズもめがねもなしで、温泉施設に行ったとき、サウナと水風呂とを繰り返した後、露天風呂でぼんやりとしているときの弛緩―にも少し似ていた。いやいや、そこに行ったのはつい2日前じゃないか、なんて苦笑したり。
そんなことをぼんやりと考えながら、私はまたビールを一口飲んだ。オクトーバーフェストビアは、少しバナナのような香りがした。

before, after

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今日近くを通って、時間もあったので、目黒を少し散歩をした。
以前住んでいたあたりを、ぶらぶらしていると、住んでいたときから居た三毛猫がいたので、写真を撮った。

TS3G0049.JPG

実はこの猫は、私が住んでいたころに生まれたらしく、子猫のころから知っているのだけれど、良い具合にふてぶてしく育っていて少し嬉しかった。
この目つきの鋭さはすごい。
もう少し近づいたら、フーッと言われた。

そういえば、子猫のころに撮った写真があったと思って、PCを探したら、あった。
まさに、before afterという感じ。

DSCF0018.jpg

ほかにも、こんな猫もいた。

TS3G0050.JPG

皮膚病っぽかったけれど、後ろに傘が写っていたり、水もえさもあったりで、大切にされているみたいだった。
よくなるとよいのだけれどね。

そんな、こんなで私の携帯は猫と花の写真が着実に増えていっている。

http://yamagata-np.jp/news/200810/05/kj_2008100500070.php
大江健三郎が日取りを勘違いして、講演に来なかったのだとか。

そんなことはどうだっていい。観客も、井上ひさしと大江健三郎の講演を両方聞けることになれば、ラッキーと思う人が多いんだろうし。

むしろ、ひっかかったのは
大江さんが現在、書き下ろし小説に取り掛かっていることに触れ「日付を忘れるくらい執筆に集中していたのでは。」
という部分。

また小説に取り掛かっている!これは楽しみに待たざるを得ない。

大江健三郎の小説の最新作は、『さようなら、私の本よ!』と思っているかもしれないが、そうではなくて、去年の年末に出た『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』が小説の最新作だ。

この小説は、あまり話題になっていないみだいだけれど、こんな小説をこの年齢になっても書けるということに、改めて感嘆せざるを得ない。

この小説がどういう小説か、ということを説明することは難しいのだけれど、以下の部分を引用してみよう。

事実として、ラウリーはどうやってるか? いまいったとおり、かれはシナリオを書いていない! フィッツジェラルドの小説を完璧に映画にしたものがあるとして、それをマージュリーと見てる自分。この視点を設定して、その視点で映画を見てゆく、そしてそのまま三人称現在形の小説を書いてるんだ。一般のシナリオに対比してみれば傷だらけだ。無闇に長いト書、カメラへの指示のつもりの詳細な情景描写……つまりラウリー・シネマというほかない、かれの映画の小説を書いているんだ! Kenzaburo、きみはもうすでに、いったんシナリオを書いた。それが映画になればどういうものであるか、きみ自身には見えていただろう。それを思い出して書いてもらいたい。小説の玄人として、映画の小説をかいてもらいたい。それをテクストに、サクラさんが自由に映画を撮影する。彼女こそ映画の玄人だ。それはできる。

サクラさんは永生きするはずだが、おれやきみ二人の協力者が欠けて実際のプランは流れてしまっても、きみの書き上げておく小説としてのシナリオを読むことで、まさにわれらの映画を見ることができる。しかもKenzaburoの小説をつうじて、将来かなりの人数が、サクラさんのその映画を見るのと同じ体験をするだろう。

つまり、この小説の主人公であるKenzaburoは、出来上がった映画を観客として見ているという視点でシナリオを書き、それによって映画は撮影される。
そして、この小説の中の、Kenzaburoのシナリオの読者は、このシナリオを読むことによって、映画を追体験できる。
ここまでなら、まだわかるのだけれど、ここから現実世界まで、もう一段階同じ構造が作られる。
つまり、この作品の中では、実際にKenzaburoによって書かれたシナリオはそのままの形で提示はされない。それは当然で、現実世界の読者が呼んでいるこの小説そのものが、このシナリオそのものであるからで、この小説自体が、この小説世界内のサクラさんの映画を小説によって表現しているものだからだ。
つまり、この小説は、サクラさんの映画を観客として見ている視点からKenzaburoによって書かれたシナリオ、にそって撮られた映画を、現実の小説家大江健三郎が、Kenzaburoがたったのに似てはいるが、一段階メタな視点をから、三人称現在形で−その類まれなる想像力によって−描いた、という複雑な構造をとっているのだ。

つまり、この小説は、小説によって映画を表現できるか、という試みなのだと思う。
それを、これだけ実験的な(と言ってもいいだろう)構造で描いている。
しかも、その複雑な構造だけにとらわれることなく、その筆致は、「レイター・ワーク」と自ら言っているように、静謐で、美しい。
しかし一方で、ユーモアも忘れてはいない。

こんな小説を、この年齢で書ける大江健三郎という作家の衰えない想像力−創造力−に感嘆するとともに、新作を同時代に読めることが幸福と感じずにはいられない。

しかも、新作を書いているというではないか!
待ち遠しく待つとしよう。

ちなみに、この小説は、表紙の帯に、作者自らが書いているように、"It's only movies, but movies it is !"というフレーズがキーになっている。
まさに、それがテーマであろう小説。軽妙さもあってすばらしい。

いったん口をつぐみ、木守は私の右腕を見つめる思い入れをしてから、続けていた。
きみはサクラさんがよく口にする言葉として、"It's only movies, but movies it is !"というのを聞いただろう?「たかが野球、されど野球」というやつのもじりだね。

−PMGがBNTに!
と云うタイトルのメールが届いて、一体何のことだろう、と思って本文を読むと、パット・メセニーが年末年始ブルーノート東京に来日するということだった。
このメールの送り主は、パット・メセニーの熱狂的ファンで、以前私が行ったメセニー・メルドー(ブラッド・メルドーとパット・メセニーのユニット)の来日公演の際に、知り合った方だ―私は見知らぬ人から話しかけられることが時々あって、そのほぼ100パーセントが年配、それもおじいさんといったくらいの年齢の男性に話しかけられる場合なのだけれど、このときは珍しく例外だったのだけれど、それはまた、別の話。

おお、行ってみたいけれど、やっぱりチケット高いなあ。
と思っていて、

そういえば、ブラッド・メルドーの来日はどうなっているんだろう、と思って、HPをチェックした。

というと、久々にチェックしたみたいだけれど、実はかなり頻繁にチェックしているのであり、来日公演を待ち望んでいるのである。
噂では、以前のライブの集客がそれほどでもなかったとかで、来日の交渉がもめているという話だったので、少しあきらめていたのだけれど、

ついに!

オフィシャルHPに!
http://www.bradmehldau.com/tour/index.html

March 2nd, 2009 Billboard Live Osaka Osaka, Japan
March 3rd, 2009 Suntory Hall Tokyo, Japan

おおお!

ローソンチケットで!
http://l-tike.com/oc/classic/bm_trio/

おおおお!

万難を排して行く!
S席で観たいなあ。

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