2008年9月アーカイブ


言いたいことはいくつある? ひとつもない? なら言い方を変えよう 言うべきことはいくつある?
(そうだ)いくつかある、まちがいなく、言うべきことがいくつかある。
墓を掘りおこす必要がある。くちびるにかけた鍵はどこだ?
(小林大吾 『エイミーと尨犬/amy tongue』)

言いたいことはいくつあるだろう、私は考えてみる。
いつの間にか26歳になっていて、随分と自意識というものが変わった。自意識というものが曖昧な意味なので、定義をはっきりしないといけないと"小文字のiの上に点があるかないかにとてもこだわる人"には気に入らないかもしれないけれど、あえてそれでも曖昧なまま言えば、今まで自分にべたべたとまとわりついていた自意識が、少し乾いてきてパラパラと剥がれ落ちてきたような気がする。注意すべきは、捨てるべき自意識は捨てるべきだけれど、美意識は捨てないようにしなければ、というのが最近の私の自意識のあり方だろうか。
とは言っても、以前の自意識過剰な私から比べれば、ということなので、端から見れば相も変わらず陳腐な存在なのかもしれないけれど。
そんな具合なので、とても言いたい、ということは随分と減ってきたように思う。実際、最近私は「私は」と主語のつく文章を書いていないし、そういった文章を書くことが以前ほど切実ではなくなってきたということは事実なのだろう。

では、言い方を変えて、言うべきことはいくつあるだろう、と私は考えてみる。
黴が生えて、風解しかかっている知識を思い出すと、べし、の意味は推量、意志、可能、当然、命令、適当、これは古典だったか。
すくなくとも、言うべき−言ったほうがいい−ということはあるように思う。誰にとって適当だろうか。それはおそらく未来の私にとって。
現に今の私が困っているように、観た映画の記録は必要だし、本もいつ、どんな状態で読んだかは重要だ。おそらくは聴いた音楽も。そして、今しか書けないことということもきっとある、と以前のログを見返したりすると思う。
そういったことは、他の人にとっては、言ってもらっても言わないままでも、大して変わらないことだけれど、未来の私のために、少しくらいは書いておくべきかなと思う。

エイミーという舌の持ち主の詩人のように、言うべきこと、を私はまだ持てる立場にはいないが、もっとささやかに、個人的に書いておいたほうがいいことを書いておこうかと思う。
そして、26歳にもなって依然として過度なロマンチシズムの傾向のある私が書く文章が、誰かの暇つぶし程度にでもなれば、それはそれで悪いことじゃないしね。

小指が僕にからんで
動きがとれなくなれば
みんな笑ってくれるし
僕もそんなに悪い気はしないはずだよ
(井上陽水 『氷の世界』)

そんな感じだ。
案外そんなことが、言いたいことだったりするのかもしれない。

TS3G0041.JPG

TS3G0045.JPG

080611_1458~01.JPG

080611_1500~02.JPG

080728_0748~0001.JPG

080824_0939~01.JPG

080911_1731~01.JPG

080925_1439~01.JPG

080926_0526~01.JPG

080926_0531~01.JPG

080929_1848~01.JPG

080929_1849~01.JPG

TS3G0047.JPG

このアーカイブについて

このページには、2008年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年6月です。

次のアーカイブは2008年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。