2008年1月アーカイブ

最近音楽の話が多い気がするけれど、また音楽の話でも。

ブラッド・メルドーの話。

ブラッド・メルドーを好き、というと、ジャズが好きなんだ、と思われるけれど、実はジャズに関しては全然詳しくなくって、齧ったというよりは舐めた程度でしかない。

それでもブラッド・メルドーを初めて聴いたときの衝撃は忘れられないし、今でも何度聴いても衝撃を受けるくらいにすばらしい。
ジャズってかっこいいんだ、と、今までろくに聴いてもいなかったくせにどこかスノッブな印象を持っていたジャズへの印象ががらりと変わった。

初めて聴いたアルバムは"Largo"で、その中でradioheadの"Paranoid Android"をカバーしているのに一番衝撃を受けた。
"Paranoid Android"はradioheadの中でも大好きな曲なのだけれど、まったく違った印象ながらもやっぱり原曲のよさもでていたりする。何より、この軽やかさ!

(そういえば、以前mixiで「外国のロックが筋肉にタンクトップという印象でどうも苦手」という趣旨のことを言っている人がいて、ああ、radioheadを聴いてみてほしいなあ、と思ったけれど、私はradioheadに関してもやっぱりそこまで詳しくはないので、薦めるのに気が引けたりもした。)

その"Paranoid Android"に衝撃を受けて、ほかの曲も聴いてみると、これがなんともまあ、かっこいい。

軽やかだし、時に悲しげだし、何より、かっこいい。

この衝撃の体験はもう何年も前の話なのだけれど、どうして今頃そんな話をするかといえば、
http://home.att.ne.jp/sea/alfa/jazz/jazz29.htm
こういう素晴らしい記事を見つけたから。

ああ、これはジャズ初心者の私だけじゃなくて、ジャズが好きな人からしても衝撃だったのだなあ、と思いうれしかった。

参考 http://www.bradmehldau.com/media/index.html
同じくradioheadのカバーの"Exit Music (for a film)"(この曲も最高だなあ!)の動画は見られるみたいだけれど、"Paranoid Android"のカバーは聴けないみたいだ。
"Unrequited"(この曲はオリジナルで、最高!)も聴ける。
"Unrequited"はメセニー・メルドー(パット・メセニーと組んでる)でもやってたけれど、実はメルドーだけのバージョンの方が好きだ。

何が言いたいんだ、といって何も言いたいことなんてないんだけれど、
ブラッド・メルドーはいいなあ、って、珈琲を飲みながら聴いてて思ったから、書いたんだ。

雪かもな

| コメント(1) | トラックバック(0)


冷え込む夜に熱いコーヒーとラムを少し
静か過ぎる気配が聞かせてくれる
明日の朝は雪かもな

足は滑るし歩きづらいし
だけど綺麗な雪が好き
(SION "雪かもな")

明け方には雪が降るらしいとラヂオのニュースで聴いて、道理で寒いはずだ、と思って、ふと思い出したSIONのあの曲をまた聴きたくなった。
一時期SIONばかりを聴いていたことがあって、そのうちのいくつかの曲は今聴くと気恥ずかしい思い出がよみがえったりもするけれど、
この曲はいいなあ、やっぱり。

それにしたって冷える、コーヒーでも飲むか、と思ってコーヒーを淹れようとしたら豆を切らしていた。
ラムはあるのに。

そんな、雪が降る直前の、普通の日記。

「疲れた」って言わなくなったのは 君が教えてくれたこと
身体と心をもって生きてんだから
疲れていないやつなんかいやしない

冷え込む夜に 熱いコーヒーとラムを少し


足は滑るし歩きづらいし
だけど綺麗な雪が好き
ゆっくりだけど止まらない
君に教わった歩き方で
(SION "雪かもな")

―どんな音楽が好きなの?
と「その人」は私に聞いた。互いのことを余り知らないぎこちなさのなかにも、どこか和やかさを感じる雰囲気での会話だった。
私は当時聴き始めていたボブ・ディランの名前を挙げ、ボブ・ディランを初めて気になったきっかけについて話した。深夜にだらだらとPVが流れているTV番組で観た"Subterranean Homesick Blues"の映像はとにかくかっこよくて、てっきり新曲が昔風の映像のPVにのせて流されていると思ったほどだった。歌詞も韻を踏んでて詩の朗読のような面白さもあって、その独特の声もとても渋かった。
ちょっと話しすぎたな、と思っていると、「その人」は、自分は音楽を聴くのに歌詞をまるで気にしないので、歌詞がいいという音楽の感じ方がよくわからない、と言った。
その言い方には否定的なニュアンスもなく、ただ、率直な感想、というさらりとした印象で、どうということのない会話が妙に印象に残った。

そんな昔の話を思い出しながら、私が「その人」に現在私が数日前から繰り返している曲の話をしたら、やっぱりわからないと言われるのだろうな、と思った。

私が数日前から聴いているのは、斉藤和義の"ベリー ベリー ストロング〜アイネクライネ〜"と云う曲で、きっかけはラジオで流れていたのを聴いてとても気になったことだった。

そういえば、私がラジオを聴いていると言ったら「その人」は驚いていたのを思い出した。例のごとく「率直な感想」といったような印象で、へえ、ラジオ聴くんだ、と。

この曲の良さを私がまた「その人」に話したとしても、「その人」はやはり率直にわからないと言うであろうという理由は二つあって、一つはこの曲は楽曲として特に素晴らしいということでもないということ、もう一つは私が特に気に入ったのはこの曲の歌詞であるということだ。

楽曲自体はとてもシンプルで、特に斬新だということもない。ギターの音にはとても魅力を感じたけれど。

私がとても痺れたのは歌詞で、どうやらこの詞には伊坂幸太郎が関わっているらしい。

伊坂氏が斉藤の大ファンだったことから交流がスタート。“出会い〜結婚”をテーマとした「紅盤」の制作過程で斉藤が伊坂氏に作詞を依頼。伊坂氏は逆に小説を書き下ろすことを提案し、短編「アイネクライネ」を書き上げ、斉藤がこの作品を元に「ベリー-」を作り上げた。
http://www.daily.co.jp/gossip/2007/03/01/0000256360.shtml


という経緯のようだ。

小説家が関わっていることもあってか、物語を感じさせる詞がとてもうまい。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B21632

駅前でアンケート調査をやらされている主人公(?)、几帳面が売りだけれど奥さんに逃げられた職場の先輩、アンケートに答えてくれた女の人、日本人初のヘビー級タイトルに挑むボクサー、それを見るサラリーマンや女子高生。
それらの人物が交叉する様子が描かれていて、その場の状況が浮かんでくるようだ。

サビの部分の
ベリー ベリー ストロング いつか 誰かがいってた
ベリー ベリー ストロング 強い絆の話だよ
というのは余りにストレートに過ぎて、余り好きではないけれど、これだけ読めば白々しいだけのありがちな歌詞のようで平凡という印象を与えがちだけれど、平凡、というよりは飾らない率直さ、というようなどちらかといえば肯定的な印象を受けるのは、それ以外の細部の描写がすぐれているからだろう。
実際、このサビの部分は、それまでの細部の描写のおかげで、どこかチープな響きでも、肯定的な飾らなさを感じて、そのシンプルな楽曲とあいまって確かに聴いていて音楽的な高揚を感じる。

では、その細部のどういう点がよいと思ったかというと、たとえばアンケートに答えてくれた女の人の描写。

彼女の親指あたりに マジックのメモ書きで「シャンプー」
俺は別に何の気もなく それを見て呟いた 「シャンプー」
彼女小さな声で「今日、安いんですよ。わすれないように」
その姿可笑しくて

この短いけれど、妙に具体性のあるエピソードによって、ぐっと主人公と女の人の「絆」が色濃く出てきているように思う。
簡単なことのように見えて、とても難しいことだと思う。まして、文字数もリズムも限られた音楽の中では。
このあたりの巧みさは、小説家が関わっているからこそなのかもしれないとも思う。

こういう細部によってうまく表現しているというのは、最近では小林大吾でも感じたことだけれど、結局私は、歌詞というものを結構重視してみているのかもしれない。

勿論、楽曲だけで素晴らしい曲も好きだし、両者が相まって止揚されているような曲には感動する。けれど、楽曲自体はそれほど斬新ではなくても、歌詞が良いというのは私にとってそれだけで好きになる要因の一つなのだと思う。

最近mixiで、「私はやはり,言葉という表現方法が好きだ.」と書いている人がいて、なるほどなあ、と思ったけれど、結局私も、「言葉という表現方法が好き」ということなのかもしれない。

今度「その人」に会ったら話してみようか。

ちなみに、「その人」とは、私の姉の夫、つまり義理の兄である。
いまだに距離感がつかめず、今後も「義兄さん」とは呼べる気はしないけれど、「その人」の率直なマイペースさは見ていてどこか心地よい、不思議な人だ。

明けたね。
明けたよ。

忌野清志郎が、KYってのは今年もよろしくのことだ!、って言ったらしいね。
いかす。

年末年始はいろいろあって、といっても、主にぼんやりとしていたのだけれど、連絡を取っていたのが殆ど家族のみだった。
主なメールの相手が姉で、その内容は『仁義なき戦い』シリーズで誰が好きだとか、帰省する日程との関係でいつ猫の世話をしにいくかとか、そういう話ばかりだった。
ちなみに、姉夫婦が帰省している間は、猫たちも寂しいらしく、非常に手厚いもてなしをうけた。早い話がもてた。
女性にもてるよりも、猫にもてた方がうれしいかもね、と二つのふわふわのうちでよりふわふわな方に言ったら、どっちでもいいから、撫でろよ、とでも言うように目を細めてに私を見上げた。

以上を持って年末年始の報告とさせていただいて―ちなみに姉は小林旭(おそらく『代理戦争』の)が好きで、私は渡瀬恒彦(同じく『代理戦争』の)だった―最近琴線に触れたことでも挙げてみよう。

まずは詩。
詩集を贈られた。ミヒャエル・エンデの『影の縫製機』を。
私はミヒャエル・エンデには特別な思い入れがあって、それはおそらく、記憶している限り、最初に自分で読んだ長い作品が『モモ』だったからだろう。
そんな事情を知らないであろう人から、たまたま頂いたので驚くとともに、とてもうれしかった。
人に本を贈るということはとても素敵なことだと思うけれど、とても難しいと思う。
その人の趣味を知ることは難しいし、趣味に沿いすぎていても面白みがない。
さらに詩集になると、とても難しい。
さらりとエンデの詩集を贈れるような、そういうセンスをとてもいいものだと思った。

本自体も勿論素晴らしい。
装丁も美しいし、ビネッテ・シュレーダーによる絵も素晴らしい。
エンデの詩については言わずもがな。

ある日の朝八時
綱渡りはなにもかけずに
虚空をあるきだす
まるでそこにロープがあるかのように!
奈落のはるか高みを
足どり軽く すいすいと
けれどもつかむところのない フェリックス
風にふかれてとんでった

風のふくまま 気のむくまま
どこへいったか綱渡り
望遠鏡のぞいた天文学者がいったとさ
アルゴー号の星座の中に かれがいた
夢なものか
ちゃんと見た
星から星へ
綱をわたるようにあるいていた
(ミヒャエル・エンデ『綱渡り』)

綱をどんどん細くしていって、ついには綱すら必要とせずに虚空を歩き出した綱渡り。
この軽やかな興奮が素晴らしい。また、風にふかれてとんでいる絵がまた素晴らしい。
素晴らしい詩的興奮を味わった。


詩といえば、ある人が薦めていたアンドレ・ブルトンの『狂気の愛』を牛歩どころか蝸牛の歩みで読み進めている。
ずるをして、最後の娘への箇所を読んだら大層感動して、これは最初から順に読み進めていこうと思っている次第。
この作品に興味をもったのは、その人がmixiで薦めていたから、というのも大きいのだけれど、この「狂気の愛」というフレーズに惹かれたという点も大きい。

去年ルイス・ブニュエルの映画について山田宏一が話していたのだけれど、映画雑誌のインタビューで愛に何を求めますか、と尋ねられたブニュエルは、あたりまえのようなことだけれど、愛、狂気の愛、と答えたのだそうだ。
リュミエールか何かが出典だそうで、フランス語が全くわからない私には原典をあたることができず、不確かな引用になってしまうのだけれど。
このように、このエピソードがとても印象に残っていたところに、アンドレ・ブルトンの『狂気の愛』を知ったので、非常に興味がわいたのだ。
勿論邦訳で読んでいるけれど、表現の美しさに感動する。
こういうものを原典で読めるということはとても幸福な体験なのだろうな。
とはなからあきらめていてはいけないのだろう。

わたしは愛が生活と争いもつれ合うことも否定しない。わたしはただ、愛が生活に打ち勝つべきだと思うし、そのためには、愛が、愛自体に関するひとつの詩的意識にまで昂められねばならないことを言っているのだ。つまり、愛が必然的に出逅う愛に敵対するいっさいのものが、愛に固有の栄光のまっただ中で溶解されるような、そういう愛自体の詩的意識にまで。
(アンドレ・ブルトン『狂気の愛』)

詩は詩、でも歌詞の話をすれば、今更ながらに、"EnglishMan In New York"をきちんと聴いた。
というのも、羊毛とおはなの"Live In Living’07" (まあ絶品のアルバム)の中でカバーされていたのを聴いたのだけれど。
もちろんこの曲のメロディぐらいは聴き覚えがあったけれど、タイトルすら知らなかったし、勿論歌詞の内容も知らなかった。
ところが聴いてみると、素晴らしいではないか。今更。
勿論、このカバーが素晴らしいということもあるけれど。

Modesty, propriety can lead to notoriety
You could end up as the only one
Gentleness, sobriety are rare in this society
At night a candle's brighter than the sun

Takes more than combat gear to make a man
Takes more than a license for a gun
Confront your enemies, avoid them when you can
A gentleman will walk but never run

If, "Manners maketh man" as someone said
Then he's the hero of the day
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say

I'm an alien I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York
(STING "Englishman In New York")

legal alienという言葉がなんとも良い。
"At night a candle's brighter than the sun"というフレーズも好きだ。
Stingの原曲も聴いたけれど、羊毛とおはなのカバーがとてもよくて、こちらの方が好きかもしれない。
山崎まさよしもカバーしているとのことなので、少し聴いてみようかと思う。

この歌の内容は、やっぱり普遍的なもので、例えば東京にいる関西人とかにも通じるのかな、と思ったけれど、それは私の嫌いな過剰な関西アイデンティティの誇示のようで、少し違うかな、とかいろいろと東京へと向う新幹線の中で考えていた。
どうやら、実際に、この曲のカバー?で"関西人 in Tokyo"(種浦マサオ)という曲があるらしい。
過剰な関西人アイデンティティの誇示だったらいやだな、と思っていたら、まさにその点を逆手にとって、
関西人と一括りにされがちながらも、実は奈良出身で特に面白いことを話すのが得意なわけでもない、という心情を歌っていたので驚いた。

面白い人でくくらんといてや しゃべり 自信がないから
どんなに言うてもこの関西弁 貼られてる レッテル決まってる

Oh ほんま エイリアン
なんかちょっとちゃう エイリアン
俺 関西人 in Tokyo
Oh ほんま エイリアン
 なんかちょっとちゃう エイリアン
俺 関西人 in Tokyo

コンパに呼ばれて つっこみ任されて 中途半端なボケかまされて
「面白い人ね」って、 「大阪の人は」って
だから違うんだ 俺は奈良生まれだ!
(種浦マサオ "関西人 in Tokyo")

やっぱりちょっと鼻に付くところもあるけれど、それはいわゆる関西弁のイメージから来ているもののようにも思えて、この歌自体は、けっこうまっとうなことを言っているような気がした。
だからといって、この曲が面白くて、カラオケなんかで歌うかといえば、そういう行いこそがこの曲で言うところのレッテルに他ならないように思う。
なんか、おもろいね。

あとは、言葉、ではないけれど、森美術館の"六本木クロッシング2007"を観てきた。
前回(2004年だったらしい)行ってとても面白かったので、今回も開催期間ぎりぎりに滑り込んだ。
前回も現代芸術の多様な姿を観られて、何より解りにくいことぬき!という具合に楽しめて非常に良かった。
今回も楽しい展示がとてもたくさんあって、興味深かった。
琴線に触れた作品がいくつもあったけれど、今日は少し長く書きすぎたので、省略しようと思う。

あ、そうだ。今年もよろしく。KY。

このアーカイブについて

このページには、2008年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2007年12月です。

次のアーカイブは2008年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。