mixiの日記にblogでコメントすると云うのが慣行のようなので倣ってみようと思う。
昨日,一目惚れをした. ずっとしっくり来なかったのは,こいつに出会うためかと.
そんなわけで,数年ぶりに自分の自転車です. 紆余曲折を経たものの,早速気に入ってしまい, うきうきしながら一駅分走ってしまった. 風を切る感じがたまらなくて. 某先輩が,自転車は非日常の道具だとおっしゃっていたのが とても良く分かった. 今度晴れた休みには,きっと川を見に行こう.
最近の一目惚れ、といえば
http://www.60vision.com/product/aderia60/product01.html
このティーカップだろうか。
私はここで一目惚れと言ったのは、一目見てそのデザインを気に入ったという程度の意味でしかなくて、ことさら異性間(或は同性間)の感情の機微に喩えるというほど深い感興ではない。
そして、より厳密に修辞するなら、このティーカップとは一目惚れというよりは運命とでも言うべきで、それは他人にとっては些細で取るに足らない偶然を当人は想像力によって一つのストーリーに仕立て上げて何かしらの結びつきを感じている、と云う点でもその方が妥当なのだろうけれど、それはまた別の話。
さて、自転車と一目惚れ、と云うことでふと思い出したことがあった。
それは私が二台目の自転車購入を検討していた時のこと、冗談交じりに二台目も愛せるような人なのかと言われたことがあった。
車をよく替える男は女性関係が派手だ、なんてクリシエは聞いたことがあったけれど、自転車を恋人に喩えるというのは聞いたことがなかったので、理解するのに少し時間がかかった。
乗り物を恋人に喩える、という表現は解らなくもないが、私にとって自転車はそのようなものではなく、自分を拡張してくれるものだ。
自転車は他者ではないので、そこに恋愛に喩えるような関係を感じたこともなく、だからこそその人の冗談を理解するのにしばし時間を要してしまったのだろう。
私は自転車をメンテナンスするし、長く乗り続けたいと思っているけれど、それは道具としての愛着だと思う。
一見それと矛盾するようだけれど、私は自動車を持たないし、それどころか免許すら持っていないということもあるのかもしれないが、神経質なまでに車をピカピカに磨き上げる人の気持ちは理解できない。
車は外を走るもので、そのために出来ているのだから、何も顔が映るまで磨き上げなくてもよいではないか、と思うのである。自転車だって外を走るではないか、といわれるかもしれないが、自転車の場合少し事情が違う。
確かに自転車は外を走るし、MTBにおいては可也過酷な状況でも耐えられるような仕様になっている。しかし、それはメンテナンスを前提としているのだ。詰まった泥や水を放っておけば一年もたたずに乗れなくなるだろうし、風雨にさらせばすぐに錆は出てくる。油を差さないと劣化も早い。メンテナンスをしなければ動かなくなるのだ。
だから、自動車に関しても快適に走るためのメンテナンスはきっちりとすべきだと思うし、実際多くの人はそうしているのだろう。けれど、それが息を吹きかけて袖で磨く、と云うくらいにまで行くと、それはメンテナンスと異質なもので、少し気持ちが悪く思う。
少し話がずれたけれど、要するに私が自転車に対する捉え方は自己を拡張してくれるものというものであって、そこに他者性はない。だからこそ、自分の足でどこまでも行けるという快感があるのだし、非日常の道具たりえるように思うのだ。勿論、自転車に対する愛着は人一倍強いとは思うけれど。
それはひょっとしたら今の自転車に随分と長く乗り続けている、というただそれだけの理由でしかなくて、乗り始めたときは私も一目惚れしたのかもしれない。
mixiを引用して始めた割りに、なんとなくまとまりのない文章になってしまったけれど、
伝えたかったことは、
良い自転車に出会えてよかったですね。
メンテナンスをすれば自転車は思った以上に長く付き合えるし、風雨を遮ってやって、時折油を差すだけでも、驚くほどに寿命は違うようです。
という程度のことです。
