『グラインドハウス(USAバージョン)』
グラインドハウスは本来2本立て映画を再現するという企画だったので、アメリカでは2本まとめての上映という形で公開されている。
それに加えて、フェイク予告篇と言われる、実際には存在しない映画の予告篇、そしてレストランの広告まで含めての上映となっている。
しかし、その形での公開となると上映時間が3時間半に及び、劇場としては効率が悪い。
ということで別々での公開もやむなし、公開されるだけでもありがたいと思わなければいけないのだろう、と諦めていたのだけれど、東京大阪のみ、しかも一週間のみでUSA公開バージョンでの公開があるというではないか。
値段が3000円でも、場所が六本木ヒルズでも、そりゃあ万難を排して行くしかないのである。
最終日の午後一時からの回。ほぼ埋まっていたけれど、まだ空席もあった。どうやら平日の回はかなり空いていたときもあったようで、少しもったいない、というか、これでいいのだろうか、とも思った。折角の公開なのにね。
フェイク予告編の感想は省略するけれど、
『マチェーテ』はまじで面白そうで、実際ロバート・ロドリゲスなら外さずに撮ってくれるのだろうなあ、という具合だった。たとえストーリーが『極大射程』まんまでも。
前半はロバート・ロドリゲスパートの『プラネット・テラー』
さすがロバート・ロドリゲス!と云う感じで、外さずにきっちりと作ってくれていて面白い。
ローズ・マッゴーワンの魅力爆発。
文句なく面白い。
後半はタランティーノ・パートの『デスプルーフ』
『プラネット・テラー』の出来も良かったけれど、それは想像通りだった。
けれど、『デスプルーフ』は想像を絶する出来だった!
前半のダラダラとした会話の長回しや、フェティッシュなまでの寄りなど、少し冗長とも取れる間が続いた。会話の裏側に何か意味、というか、例えばリンチが会話自体も音楽と捉えているような、台詞のリズムやテンポというもののみが示す何かがあるような気もしたけれど、端的に言えば冗長だった。
しかし、それがカートラッセルがデスプルーフ仕様の車にエンジンをかけた瞬間にぶっ飛ぶ。
「2トンの鉄の塊」が想像を絶する速さと衝撃でぶつかり合う!
そんなシンプルなことが、こんなにも面白いなんて。
私はある時期からカーチェイスが退屈に思い始めていた。
幼い頃からアクション映画は大好きで、そしてカーチェイスのシーンも好きだった。テレビで放送されていた『激突』も好きだった。
けれど、いつからかカーチェイスは何かありがちな表現で、どこかありふれた、退屈なもののように感じていたのだ。
しかし、それは、私自身の見方と云う点もあったのだろうけれど、カーチェイスはそもそも面白いもので、撮り方次第なのだ、ということをこの映画は教えてくれた。
素晴らしさを表現するときに鳥肌が立つと云う言葉を使うことを大江健三郎は先日の講演会で冗談交じりに揶揄していたけれど(休憩時間にあなたの講演を聞いて鳥肌が立ちましたと言われてそんなに酷かったかと落ち込みましたと言っていた)、誤用を承知で使うなら、一体何度鳥肌が立っただろう。
身体感覚が誤用に導かれたのか、身体感覚が先立って誤用が生まれたのかはわからないけれど、私は映画で感動すると、凄いと思う前に気がつけばぞわぞわと鳥肌が立っている。
それが、カーチェイスの場面では始終だった。
ゾーイたちが反撃を始める場面での血の沸きよう、肉の踊りようは一体どうだろう!
もう、最高だった。
傑作だった。
こんなことを言うと、絶対に「引かれる」ことはわかっているのだけれど、
the endの文字が出るラストシーンはあまりに能天気で、劇場中笑いに包まれていたが、その後のスタッフロールで私は涙が込み上げてきた。
はっきり言えば、この映画ではなく要素はゼロだ。
けれど、私は涙が込み上げてきた。
タランティーノファンでよかった、と。
B級映画に対する知識もないし、『キル・ビル』を十分に愉しめたとはいえないのだろう。最高に面白かったけれど。
今回の『デス・プルーフ』で触れられたカーアクション作品も少ししかしらない。
でも、最高に面白いのだ。
RHYMESTERの宇多丸が「タランティーノを抱きしめたい!」と絶賛していたけれど、まさにその気持ちがわかる。
タランティーノが好きで良かった。
映画自体が、というより、こういう作品を撮ってくれたこと、こういう作品があることに対する感動の涙、というのは今まで体験したことがなかったので、驚いてしまった。
一週間のみの公開で、一度しか観られなかったけれど、私はこの一週間でこのバージョンでの公開を観られたことは、絶対に大切な体験だった。
さて、あとは一本ずつの日本公開バージョンを観に行こう。
2本とも何人もで盛り上がって観たいから、誰か誘って行きたい。
もうさすがに涙することもないだろうし。
