2007年5月アーカイブ

そういえば観たことを書いていない映画があることを思い出した。

3/24 『蟲師』
ストーリーを詰め込みすぎなような気もするけれど、そういえば『スチーム・ボーイ』も随分と複雑なストーリー展開だったなあと云う気がした。複雑というのは、入り乱れているというのではなくて、道自体は一本だけれど、妙に曲がりくねっているような、そう、あの『AKIRA』の配管や血管の有機的な質感のような道が流れているように感じた。ただ、それが問題なのは、必ずしも面白くなるとは限らないということではないだろうか。『スチーム・ボーイ』はシンプルな活劇ものとは言えない出来だったし、爽快感を犠牲にしても得るものがあったのだろうか、という疑問がなくもなかったが、それでも十数年待ったファンは罵る代わりに静かに口を閉ざして味わったのではないだろうか。
しかし、『蟲師』は実写で、原作が他人のマンガだ。マンガはむしろ解り易すぎるほどのストレートな問題提起をしている作品で、一話一話がとても綺麗な構成をしているように思う。しかし、それを数話分まとめて一本の映画にしようとして、それぞれのつなぎを例のごとく曲がりくねった道のようにしようとしているがために、全体としてまとまりを欠くし、叙情的な絵で語ろうとしているのであろう試みも、時折混ざる冗長に過ぎる語りによって損なわれているし、しかも漫画よりも文字的な表現に馴染まない映像では、それでも語り足りないようにも思う。
これは端的に言って、つらい作品だった。
自らの脚本ならば、もっと自在に伸縮できていたのだろうか、と思うと、少し残念だ。
映像を作りこもうとする意思が時折伝わってきたので、10年以上は待てないけれど、次の実写映画も観てみたいと思う。今回の興業は芳しくなかったように思うから、大作は撮れないのかもしれないけれど。
陳腐なストーリー展開しか取れない人よりは、曲がりくねった有機的な物語のつながり方には、可能性を感じるのだけれど。

4/28 『バベル』
少しだけネットで評を観たけれど、否定的な意見が多かった。もっともサンプル数が少ないので、たまたまだったのかもしれない。
そこで気になったのは、この作品を南北問題をテーマに扱ったものとして観るもので、その点で不徹底であるとか、結論をぼかしてしまっているとかいうことだった。
私はそれを観て妙な違和感を感じた。
それは、この作品は南北問題を告発するための作品なのか?という疑問だった。
南北問題を扱うという視点から見るということは、彼らのコミュニケーションが通じないのは、南北問題からで、ケイトブランシェットを貫いた弾丸も、メキシコ国境をまたいで起きた悲劇も、南北問題から演繹されて出てきたもんだとすることではないだろうか。
しかし、もしそうだとすると、南北問題のイントロダクションや、サンプルの摘示のようにこの作品を観るということは、結局南北問題ということを既成のものとして、何かありありとした手探りをもつ実体的なものと捉えることのように感じる。
アレハンドロ・イニャリトゥが語ろうとしたのは、南北問題ということではなくて、その背後にあるコミュニケーション不全ということなのだと思う。その点で、メキシコシティの人々を描いた『アモーレス・ペロス』と何ら変わるところは無いし、舞台を地球規模に置き換えたということではないだろうか。
菊地凛子が流す涙も、ケイト・ブランシェットが流す涙も、アドリアナ・バラザが流す涙も、変わらないというそんなシンプルで当然なこと、それを静かに広く描こうとしたのがこの作品なのだはないだろうかと思う。
だから、この映画をあたかも南北問題を摘発するイデオロギー的な作品と見ることについて、違和感を感じるのだ。勿論、映画も監督の主観を強く反映している以上、イデオロギーとは無縁とはいえないだろう。しかし、ストレートに南北問題というテーマにカテゴライズしてしまうことは、菊地凛子の涙を母親の自殺を母親の自殺を目撃したことのみに由来すると捕らえてしまった刑事と同じ過ちをおかしてしまうのではないだろうか。
南北問題という粗いフィルターのみでは捉えきれない静かな囁きがこの映画にはあるように感じるのだけれど。
とはいえ、矢張り世界規模でのディスコミュニケーションを描こうとすれば、どうしても南北問題に触れざるをえず、その点でこの作品は掘り下げ方が浅く、不徹底だと言えるのかもしれない。
それでも、静かに語りかけるこの作品を、大声じゃないから聞こえないと批難するのは、どこか的外れな気がする。

新文芸坐で『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』という壮絶二本立てを観たのだけれど、その感想はまた後日。
この素晴らしい二本立ては、今週いっぱい上映するらしいので、最近映画を観て心を叩きつけられるほどの衝撃を受けたことがないというひとは、観に行くのも良い選択肢だと思います。
クリント・イーストウッドってすごいなあ。
あ、「すごい」って言ってしまった。貧弱な語彙の私。

どこか本調子じゃないので、それは端的に映画不足だと思い、新文芸坐のオールナイトに行ってきた。
アキ・カウリスマキ特集上映。
そういえば、前日kame氏と話していて、アキ・カウリスマキが小津について語った部分を引用したのだけれど、正確ではなかったので、ここに記しておく。
とは言っても、正確な文献からではなく、フィルムセンターの小津安二郎生誕100周年特集上映のパンフレットからの引用なのだけれど。

76年、兄にロンドンで強引に見せられたのが『東京物語』です。その時から、私は文学への憧れを捨てて赤いヤカンを探すことにしました。アメリカ映画の影響を受けて育った私が、小津監督を尊敬するのは、人生の根源を描くとき、一度として殺人や暴力や銃を使わなかったことです。私の墓には「生れてはみたけれど」と刻みます。―アキ・カウリスマキ

小津に大きな影響を受けた映画監督が小津について語るドキュメンタリー『小津と語る』の中の引用らしい。私もこのドキュメンタリーは観たけれど、正確には覚えていなかった。

さて、この日のオールナイトは『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』『マッチ工場の少女』『コントラクト・キラー』『ラヴィ・ド・ボエーム』の4本。

4本観ていて感じたのは、アキ・カウリスマキの映画は「とまどい」がとても印象的に喚起されるということだ。
どこかおかしくて笑ってしまうのだけれど、その笑いの裏側には、何か異質なものもあるような、そんな「とまどい」を感じる。
例えば、それは『マッチ工場の少女』では特に強烈に感じられる。主人公のあの薄幸そうな表情のアップはとても印象的であるし、どこかニュートラルな表情は、ニュートラルなままで意志の強さを持ち始める。「効き目は?」「イチコロよ」「素敵」というやりとりの後の彼女の微笑みは、一体何なのだろう、と「とまどい」を感じる。てっきり話の流れから自殺するものだと思っていた彼女は、まるで当初からその流れにそって生きてきたかのような自然さで、意志の強さを持ち始める。そしてそれは、彼女が生き返ったというよりも、冒頭のニュートラルな薄幸さと地続きに感じられるだけに、奇妙な爽快さを感じ、自分自身のその爽快さにまた、「とまどい」を感じざるを得ない。
『ラヴィ・ド・ボエーム』でも、作曲家が新曲を皆に披露する場面で、細切れに切ったホットドッグを齧りながら聴く彼の演奏は鬼気迫るもので、さすがに"You under arrest!"と言うに至っては笑ったけれど、この酷い演奏と、彼の真剣さと、周りの困窮振りは、確かにユーモアだけではないヒリヒリとした感じが伝わってきて、「とまどい」を感じるのである。
しかしそれは、解らない、ということではなく、ユーモアとヒリヒリとした感じが、同時に感じられるということであって、その両者が並存しているのである。

『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』
とても愉快。愉快なのだけれど、妙に切実に迫ってくるものを時折感じる。
腹が減って貪り食う生の玉葱の刺激的な匂いが観ているものの口腔の中に広がるようであったり、「革命」と「民主主義復活」の場面ではコメディでありながら、どこかはっとさせられるような―この作品中で暴力が圧倒的に異質な雰囲気で立ち上がってくるだけに―切実さがあるように思う。
マネージャーはなぜ去ったのだろうか。
観た人が居たら、テキーラでも飲みながら語りましょう。

『マッチ工場の少女』
たまらんね、こりゃ。
猫いらずを買っている状況からして、てっきり自殺するのだと思っていたのだけれど、そうではなかった。そして、そうではなかった、という展開は、「しかし」ではなく、「だから」でつながれているのだ。冒頭のやるせない彼女の顔から、意志に満ちた表情までの微妙な移り変わりをきっちりと連続的に描くことによって、「だから」となっている。自殺を想像した自分自身の固定観念をそこで暴かれているように思い、居心地が悪く感じながら、彼女に爽快さを感じてしまい、また居心地のわるい「とまどい」を感じる。

『コントラクト・キラー』
あ、アントワーヌ・ドワネルだ。
と思ったのはジャン・ピエール・レオーが主演だったから。
とてもいい味を出している。トリュフォーのドワネルものとは違った風で、とぼけたニュートラルな表情がとても作品に合っていた。
コメディなのだけれど、廃墟での殺し屋とのやりとりなどはヒリヒリとした切実さを感じるし、厚化粧からそばかすが透けて見えるヒロインがとても美しく見えたり、墓場のハンバーガー屋のオヤジが矢鱈とかっこよかったり、とても多面的で、コメディという側面だけに収束できない豊かさのある作品だった。

『ラヴィ・ド・ボエーム』
こんな映画をどうやったら92年に撮れるんだ。
昔の映画を観ていて、感じるのはそこにある空気のようなもので、私は勿論古い白黒映画の頃に生まれていないから、古い小津映画の長屋を観ても、懐かしいとは感じない。しかし、そこに何か独特の匂いのようなものを感じるのは確かで、曖昧な言い方だけれども、確かにそこには独特の空気があるように思う。それは現代の時代劇からは漂ってこないもののように思う。
しかし、この作品には、そのような古い作品から漂ってくるのと同じ空気を感じるのだ。一体何なのか解らないというのは、ここに感想を書いている意味がないのかもしれないが、それがとにかく不思議でならない。
なんなんだ、この映画は。

大江健三郎の講演会があるという情報を得たので、早速申し込んで、聞きに行ってきた。

講演会のタイトルは、「知識人になるために」―世界の普遍的な教養を目指して―
だった。
―このサブタイトルを見て、(自らがつけたのではないらしく)大江健三郎は「おそろしい」ことが書いてありますね、と静かに言った。彼が入学して、初めて本郷の大学構内に入ったとき、安田講堂を裏側から見たときと同じ「おそろしさ」だ、と言いながら。若き日の大江健三郎は、今までに見たことのある松山のどんな立派な建物よりも立派な「裏側」を見て、裏側でさえこんなに立派なところで、自分はこれから勉強できない、と「おそろしさ」を感じたのだそうだ。―

以前kame氏らと話をしていたときだったと思うが、大江健三郎が東大の卒業式に来たとき、師の渡辺一夫に将来何になりたいかを聞かれて、「知識人になりたいです」と答えたというエピソードをスピーチの中で言っていたという話がでた。これを言ったのは確かkame氏だったと思うが、私はそれを聞いていたく感心したのだけれど、その場に居た人々は、それを聞いて笑っていた。私はそれがジョークだという可能性に微塵も気がつかなかったので、一瞬自分が場違いな気がして少々気が滅入ったのだけれど、あれは一体ジョークだったのだろうか。
その瞬間確かに私は将来知識人になりたいと堂々と言えることは素晴らしいと思ったのだし、私は知識人になれるだろうか、と考えていた。しかし、その場では少なくとも、知識人になると言うということは、滑稽な言動として捉えられていたので、私は知識人というものの認識の違いに、戸惑っていたのだとも言える。

その後、私が知識人になりたいと思い続けているかどうかはさておき、卒業式で大江健三郎は「知識人になりたい」エピソードをジョークとして語ったのかどうかは、心のどこかに引っかかっているような気がした。

それで、今回の講演が「知識人になるために」というタイトルであったので、これは良い機会だと期待していったのである。

講演の内容は詳しくは書かない(書けない)が、きっと卒業式でのエピソードは、ある一面ではジョークでもあり、ある一面では真実でもあったのだろう。そんな風に思った。
大江作品のいくつもがユーモラスでありながら、どこか切実さにも満ちているように。
「知識人になりたい」ということは滑稽なのだろうか。
それは、知識人を滑稽なものだと捉えれば、滑稽なものだろう。知識人と云う存在は、滑稽であろうか。

この講演は、大江作品がそうであるように、引用から派生して独自の世界を形作っていた。そして、この日の講演で主に引用されたのは、エドワード・サイードの『知識人とは何か』だった。
それによれば、「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」(訳・大橋洋一)とある。

私はこのような存在は滑稽では無いと思う。そこにはある種の切実さが感じられるし、

「学問」が「科学」であろうとして「現実」から遊離せざるを得ない状況が、もし仮にあるならば、私個人としては躊躇なく「科学」であることを捨て、「現実」の中に「学問」を見出そうとするであろう(石黒一憲 『法と経済』)

と云うのと同じ、信頼するに足る声がそこにはあるように思えるのだが。
ちなみに、大江健三郎は講演で、サイードの上記の文章を、自ら訳して述べていたが、それによると、「真実を語ろうとする言葉の使い手」という部分を、「真実を語ろうとする技術の持ち主」と言っていた。

真実を語る技術。
なんて「おそろしい」言葉だろう。

講演後にkame氏と食事をしたが、映画や小説の話に(ひょっとしたら独りで)盛り上がってしまったので、少し聞きたいことがあったのだけれど、聞きそびれてしまった。それはまた、別の話。

あれ、もう一週間経っている。
誰も見ていないのではないかと書いたら、幾人もリアクションを頂いた。
催促したみたいで、申し訳ないと思いつつも、ありがたい。
結婚式に使った音楽についてだけでも一応完結させておこうと思う。

5.クイズ企画
愛の巣拝見スライドショー企画ということで、新郎新婦の新居を撮影してきてスライドショー形式で流し、クイズを行った。

5-1."Miserlou" by Dick Dale & The Del-Tones
『パルプフィクション』で使われて有名なこの曲は企画のOPに使った。
ベタだけど、完全なる私の趣味。

5-2."Weapon of Choice" by Fatboy Slim
企画の説明とクイズ中に使われた曲。
企画担当の一人Sが編集してエンドレスバージョンを作ってきてくれた。私一人では間に合わなかったに違いない。

5-3."CHU-LIP" by 大塚愛 "Magic Music" by 木村カエラ
メインのスライドショーのBGM。
企画担当のTの選曲。
私はJPOPについて致命的に無知なので、これらの曲を選ぶことはできなかっただろう。
何せ、テレヴィジョンすら家にないのだから何がCMソングなのか全く知らない。
そして、このスライドショーがこの二次会で一番盛り上がったのは、そのスライドショーと音楽のセンスによるところが大きい。
こういうガーリーな(?)曲は楽しげな映像と実にマッチしていて、素晴らしかった。
こういうものを作れるのを「センス」というのかな、とSと私は絶賛していた。


6."I Will Always Love You" by Whitney Houston
寸劇形式の企画で使った。
「エンダー」と始まるところからの編集済みで、編集自体は昨年に終わっていて、以前使ったからなのだけれども、それはまた、別のお話。

7.不明
艶やかな踊りを踊ってくれた後輩が居て、彼が持参の音源を使ったのだけれど、何の曲なのか失念してしまった。
データも残っていない。

8."バンザイ" by ウルフルズ
ご友人からのスピーチと唄。
この曲は私も大好きである。
どこかで使おうかと思っていただけに、丁度良かった。
カラオケバージョン。

9."スリル" "CIRCUS" by 布袋寅泰
ブーケプルズは2メートルのリボンを50本用意して行われたが、ブートニアは新郎の希望によりブーケトスにした。
その際、ブーケ争奪戦のようにして盛り上がりたいとのことだったので、この曲を選んだ。
新郎がカラオケで唄っていたという情報もあったので。
"スリル"で始まり、肝心のトスのところから"CIRCUS"の「FLY HIGH!!」という段取りだったのだけれど、"CIRCUS"の頭だしができておらず、少しタイミングがずれてしまった。

10."遠く遠く'06ヴァージョン" by 槇原敬之
遠方の方や都合で参加できない方も含めて、お祝い写メールを送ってもらい、スライドショーとして流した。
企画担当はやはりTで、選曲のみ私の担当だった。
ここはクライマックスにしたいと思い、選曲には悩んだ。
相談を受けてくれた姉は、出来るだけベタな曲のほうが良いと言っていたので、洋楽は外した。
邦楽で良い曲をと思ったけれど、幸福感溢れる唄というものが、私はあまり知らないのである。
SIONがとても好きなので、そこから選ぼうかとも思ったが、余り皆が知らない曲にするのはリスクが高いと思い、諦めた。"エレファントソング"とか良いかと思ったのだけれど、私の趣味が全面に出てしまい、少し煩わしいとも思われたからである。
そして、結局使ったのがNTTのCMが印象的だったこの曲である。
まだ私がテレビジョンを見ることができていた時期に少しだけ流れていて、私は結構気に入ったのだけれど、あまり周りには通じなかった。「あのCMの曲、いいよね」と言っても余り知られていなかったようだ。
何せ遠くはリヨンから、また、日本各地から送られてきた貴重なお祝いメールを紹介するにあたって、「遠く遠く」という曲は相応しいように思ったのだ。
歌詞の内容は少し違うのだけれど。
「遠く遠く離れていても ぼくのことがわかるように」というのは、新郎新婦のことかもしれないし、お祝いメールをくれた人たちのことかもしれないし、私のことかもしれない。

11."Country" by Keith Jarrett
新郎新婦の挨拶で使った。
この曲は本当に名曲で、インストでありながら、涙をさそうほどの叙情に満ちている。それでいてサラリとしたところもあり、まさに銀座に相応しい名曲であることは間違いない。
この曲が挨拶のBGMであることは直ちに決まった。

12."All You Need Is Love" by Lynden David Hall
『ラブ・アクチュアリー』のサントラから。
謹んで告白すると、『ラブ・アクチュアリー』は好きな映画の一つなのである。気恥ずかしいから普段は公言しないけれど。
誰だったか忘れたのだけれど、ハリウッドのコワモテの俳優が、「ああそうさ、『ラブ・アクチュアリー』が好きだったりするんだよ」と言っていたのがおかしかった。
案外この映画は男性の方が好きなのかもしれない。
幸せな曲調がとても相応しかったように思う。

13."Always Look On the Bright Side of Life" by Monty Python "千年メダル" by THE HIGH-LOWS
参加者退場の曲。
本来はエンドロールに使おうと思っていた曲なのだけれど、結局エンドロールの作成が間に合わなかったのだ。
準備不足が悔やまれる。
."Always Look On the Bright Side of Life"は以前缶コーヒーか何かのCMで見て気になって調べたことがあった。しばらく忘れていたのだけれど、今回準備していたら、友人のblogで紹介されていて、この曲があった、と思い出したのである。新郎はモンティ・パイソンのファンなので、ちょうどよいと思ったのだけれど、退場でざわつく場内では結局あまり聴かれていなかったかもしれない。
"千年メダル" は単に私が好きだからである。いい曲だよね。

書くのに時間がかかったが、以上である。
他にもこの曲を使いたいというのは沢山あったのだけれど、出来るだけべたにしようとした結果、こうなった。幾分趣味に引っ張られている気がしなくも無いけれど。
選曲をしている間とても楽しかったけれど、やはり選曲にはセンスというものが必要なのだなと感じた。DJといわれる人たちはただ小首をかしげて皿を回しているだけではないのだな。と思った。

さて、奇妙なキーワードで跳んでくる人を除くと誰も見ていないのではないかという疑念ばかりが増えていく今日この頃。
もう五月だ。
ちなみに、四月のキーワードは、
「絵画 龍の絵」「飽食の僕」「くすぐり」「チョコレート 鉛」「人生は影法師」「三上寛 夢は夜ひらく」「対自的正統」「シニフィアン 抽象絵画」だったようだ。私にも知らないことばかりだ。
さて、前回のエントリには一応続きがあるようなので、書いてみよう。

4.歓談
歓談の時に何を流したかは詳しくは余り覚えていない。候補となるアルバムを数枚決めていて、その中から流したからである。だから、この後何度か入る歓談のどのタイミングで、どの曲を流したかは不明なのである。以下がそのアルバム。

 4-1."Dippin'" by Hank Mobley
選曲を考え始めた時に、まず決まっていたのが、このアルバムの前半の曲を使おうということだった。新郎は私が敬愛する先輩で、その方のイメージがこのアルバムにぴったりだったのだ。
楽しげにノリよく始まり、洒脱でいながら親しみやすく、時折凄くかっこいいところもあったりするのだ。コルトレーンやソニー・ロリンズよりもテクニックを見れば上手くはない、という点では、このアルバムがイメージにぴったりだと言うのは失礼にあたるのかもしれない。
でも、このアルバムは本当に素晴らしいと思うし、現に演奏テクニックだけでは回収できない素晴らしさがあるのだと思う。
私自身はジャズをつまみ食い程度にしか聴かないけれど、そのつまみ食いの初めのころに、このアルバムを聴いて、ジャズの愉しさを知ったように思う。

 4-2."Bossa Nova Soul Samba" by Ike Quebec
正統派ジャズではないのかな、これも。ジャズと言っていいのか、ボサノバというべきなのか。リラックスしている時にも聞けるし、良い意味でしどけないパーティになれば良いな、という希望も込めて、このアルバムから何曲か流した。どこか温かみがあって、とても好きなアルバムだ。妙に歌謡曲っぽいメロディがあったり、ヌーヌー言ってる"Lloro Tu Despedida"の冒頭などがとても好きだ。

 4-3."Largo" by Brad Mehldau
ジャズもプログレもパンクも、実は地続きなんだな、と感じた一枚がこのアルバムで、私はこれで初めてブラッド・メルドーを聴いた。何せ、やたらとかっこいいのだ。
Hank MobleyやIke Quebecは会場や新郎新婦のことを考えて選んだけれど、この一枚は完全な趣味である。
いやでも、本当に凄い曲ばかりだ。特に好きなのは、Radioheadの名曲"Paranoid Android"をカバーしている5曲目だけれど、これは流さなかった。
カバーは勿論ボーカルは入っていないけれど、原曲の歌詞が少しネガティブだったりもするので、一応はパーティーの縁起ということも考えたのである。
カバーバージョンは原曲と全く違う印象で、驚く。軽やかで洒脱。
勿論、Pat Methenyと組んだMetheny Mehldauのアルバムも二枚とも買った。
素晴らしいね。

Please could you stop the noise, I'm trying get some rest
From all the unborn chicken voices in my head
What's that...? (I may be paranoid, but not an android)
("Paranoid Android" radiohead)

 4-4."A Love Supreme" by John Coltrane
ジャズそのもの。有名すぎる一枚のコルトレーンを入れたのは、そのタイトル『至上の愛』が結婚式にふさわしいもののように思ったから。
このアルバムは、ジャズを聴いてみたいけど、何が良いかと音楽に詳しい友人に聞いたところ、教えられた一枚だ。
言うまでもないことだが、薦めるだけあって素晴らしい曲ばかりで、ああ、名盤といわれるものは、やっぱりかっこいいのだなと思った。
最新の曲と並べてかけても、まったく違和感がないどころか、大抵の曲よりもこのアルバムの方がかっこよかったりするのだから、凄い。
結婚式に相応しい曲だといって選んだかといえば、やっぱりこれも趣味で選んだのかもれない。

何度か入る歓談の時間に、以上のアルバムから何曲か選んでかけていたのである。
本当はジャズ以外もかけてみようと思ったのだけれど、選んでる時間がなかった。
でも結局、歓談の時間は余りなかったので、思案したとしても上記のアルバムが大半を占めたであろうことは想像に難くない。

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