『国家の品格』を読んだ。
論理は悪いものらしくて、情緒は素晴らしいものらしいので、この文章も情緒的に書こう。
読後感はただ一つ、醜い。
文章の切れの悪さ、切り口の斬新さの欠如、ステレオタイプ、女性関連の卑近なユーモア。醜い。
こんな文章で美を語られてもねえ。
生理的嫌悪感はこのくらいにしておくとして、それこそ論証に耐えうるものではないし、それを意図したものでもないだろうから、一々批判はしない。
言葉の定義が曖昧すぎるし、恣意的に過ぎる。
この人の言う「論理」は一体何のことだったのだろうか。
イデオロギーのことだろうか。
だとしたら、「或るイデオロギーを批判するには、それ自体一つのイデオロギーとならざるを得ない。そうでなければ問題にならない程度の反論にしかならない」とヒビノ先生が言っていたっけ。
結局のところ、現在の様々な問題を論理の欠陥であると指摘して、論理が悪いと言う。そして、それに対して曖昧な言葉をもってきて、曖昧に武士道らしきものとつなげる。それだけじゃないのか。
私は、市場万能主義にも反対だし、小学生の英語教育にも反対だ。金にならない基礎学問が重要だとも思っているし、役に立たない教養も大切だと思っている。
けれど、この本を読んでいて嫌悪以外の感情を抱かなかった。
その理由は、結局、不寛容への嫌悪ということなのだろう。
この文章中でしばしば用いられるレトリックは、日本の素晴らしさを語るのに、他のものをけなすという形をとっている。日本人には解る○○が外国人には解らない、等。しかし、外国人には解る○○が日本人には解らない、という美は無いのだろうか。結局この人が言いたいことは、自分と同じ価値観で埋め尽くされれば良いということではないのだろうか。21世紀はローカリズムの時代だといっておきながら、日本人の伝統的価値観は普遍的なものだから、世界に広げるべきだ、と言っている。この根本的な不寛容に虫唾が走ったのだろう。
日本は美しい。しかし、カナダだってアメリカだってイギリスだってインドだって、別なあり方で美しいじゃないか。私はそう思う。
この人の文章を読んでいると、日本酒を飲んで「ああ、日本人でよかったあ」なんて言ってるオヤジを見ているようで、嫌なのだ。ロシア人だってウォッカを飲んで「ロシア人でよかったあ」と思うだろうし、フランス人だってワインを飲んで「ああ、フランス人でよかったあ」と思うだろう。
四季だってそうだ。
最近読んで感心した文章に次の様なものがある。
http://diary.nttdata.co.jp/diary2006/08/20060821.html
職人も客も、四季があるのは世界で日本だけであると、なかば本気で思っている。考えるまでもなく、北半球の中緯度に属する国はどこにでもはっきりと四季があり、陸地の総面積は少ないものの、それは南半球の国にもあてはまる。アメリカ人は鮮やかな紅葉に秋の到来と、やがて来るクリスマスのことを想い、フランス人であれば焼き栗の香りに冬を抱きしめる。
「日本には四季がある」という定型のような言い方は、けっこう怖いことなのではないか。そしてそのイメージだけの季節の背後には、必ずといっていいほど、消費活動が貼りついている。
私は、アメリカの紅葉が単色だから美しくないとか、フランスの栗が美味しくないとか、そんな風に見たくはない。自分の美的感覚が唯一のものであるとするのは、想像力の欠如に他ならず、美とは程遠いものではないだろうか。私は美とは生活を豊かにするものだと思う。
この本で述べられているようなステレオタイプの美的感覚が席巻した価値観は豊かだろうか。
周りが皆この著者のような価値観を押し付けてくる社会は、私は生きにくいと思う。
それは私が、この本で無価値で張り倒すべきといわれている「根無し草」に深く共感する価値観の持ち主だからだろう。
しかし、「根無し草」がなければ、ランボーは生まれただろうか。故郷を憎んだ大江健三郎は?故郷の南部の悲惨さを描き続けたフォークナーは?
彼らは無価値な根無し草だったのだろうか。
駄目なものは駄目、ということが必要だと著者は言う。
確かにそれはその通りだろう。
しかし、何故駄目なのか、を問うことを止めてはいけない、と私は思う。
何故自殺してはいけないの、と問う人に、駄目だから駄目だ、と言えるだろうか。
駄目なものは駄目、と解っていながらそれでも駄目に堕さざるを得ない人。
その人々を犠牲にするよりは、駄目でもいいじゃん、と言いながら、何故駄目なのか、を問い続ける社会の方が、私は暮らしやすそうだな、と思うのだけれど。
想像力を排して、周りを貶して、得られるものが本当に祖国愛なのだろうか。
最近聞いた名言に次の様なものがある。
自分と対等で、give and takeで居たいと思っているうちは恋なのかな。恋しているうちは相手より自分の方が大事。愛に変わると相手の方が大事になるんだよね。
本当の祖国愛とは一体なんだろうか。
ちなみに、この名言の主は、前田健である。

