2006年6月アーカイブ

authentique失格

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大江健三郎の『叫び声』を読んで打ちのめされてしまったわい。

《authentique真正の、正しい、確かな、間違いない、本物の、間違いなくその土地の》

おれはおれのauthentiqueな現実生活があなたがたの世界ではゆるされないことを証明するために、あなたがたの現実生活では安全に生きられない人間だということをしめすために、あなたがたのひとりを、心をこめて殺したところなんだから。おれこそ自分自身の巣へもどりたくて暴れているニューヨオクのキング・コングのように優しくて真剣な怪物なんだよ、自分の現実生活のauthentiqueな感覚をさがしもとめている、怪物なんだよ(大江健三郎 『叫び声』)
「ひとりの青年が、自分の本来の正統の現実生活を生きているという実感をえるために、自分の精神のほんとうの国があって、現実の不安はそこへ戻れば解消されるのだと信じるために、死刑になることさえ拒まなかったとすれば、生きている人間にはたれひとり、その青年の内部の真実を疑う権利はないでしょう。もし僕が怪物であることがわかれば僕が無罪になるのだとしたら、僕は死刑になった瞬間に無罪の証拠をえるわけです。あなたがた、この現実世界に安住できる人たちは、僕にたいして誤診するほかない。死刑にされながら、昂然と世界じゅうの他人どもを、現実生活の嫡出子どもを拒否している瞬間、僕は、真の怪物になるんです」(大江健三郎 『叫び声』)

まるで太宰だ!

先日書いたモルドヴァワインのうち一本を飲んだ。
Cricova vin de colectie Dionis 86
と云うワインらしく、Cricovaはモルドヴァの産地、そしてDionisはどうやら品種のようだ。
私はワインについて全くの無智で、まともなヴィンテージワインを飲むのは初めてなのだけれど、もう、本当に驚いた。
美味いのなんのって。
香りからして素晴らしくて、気取った言い回しになるけれど、本当にベリーのような香りと、花の芳香のような香りが、漂ってくる。
空けて一時間くらいしてから飲んだのだけれど、始めはちょっと香りの割に味がちょっと物足りないな、って思った。しかし、そこから30分くらいしたら、適度に酸化が進んだのだろうけれど、もう、形容しがたい美味さだった。
敢えてバブル風のレトリックを使えば、あれは飲むベルベットだね。
今まで飲んでた、私がワインと思っていた液体は一体なんだったんだろう、と思うくらいで。
今までワイン通の人ってちょっと気取ってるのかなと思っていたけれど、こんなに美味いワインが他にも沢山あるんだったら、そりゃあその道に狂うのも頷けるよ。

同じくcricova産の88年のカベルネがあるので、飲むのが楽しみでしょうがない。
美味しいパテを作って売っているお店を教えて貰ったので、それと飲もうかな。

こんなことで幸せを感じられるのだから、私も案外長生きするのかもしれないな。

誕生日

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今日は中村俊輔の誕生日である。
テレビが壊れていたから詳しくは知らないのだけれど、どうやらワールドカップでは調子が悪かったようなので、皆で祝ってあげるといいよね。

俊輔もきっと、24歳になったときには、23歳の誕生日とは何だか違う気がしたんじゃないかな。
何となく、今日が誕生日だって言うことに、気恥ずかしさを覚えたりしたんじゃないかな。
何となく、23と24の間には壁が在るような気がしたりしたんじゃないかな。

野々村真も今日が誕生日だって。
どうでもいいよね。

『田園に死す』の三上寛と、『IZO』の友川かずきが滅多矢鱈に格好よかったので、前々からCDを聴きたいと思っていた。
先日ツタヤに行って、そのことを思い出して探すと、三上寛のベスト盤と、友川かずきが中原中也の詩を唄ったアルバムとがあったので借りた。
聴いてみると、どこか違う。
いや、これらのアルバムが良いのはわかっているけれど、三上寛のベスト盤の方は演歌っぽかったし、友川かずきの方は、いかにもなフォークだった。

それらが悪いわけではないし、良い曲も沢山あったけれど、私が聴きたかったのは、『田園に死す』とか『IZO』で流れていた、ごりごりとした怨念が手触りでわかるような、きりきりと鋭い歌だったのだが。

もっと狂気が欲しいんだ。

最近のアルバムを探そうか。不精せずに買おう。

それにしたって、三上寛の詩は凄いね。

七に二をたしゃ 九になるが
九になりゃ まだまだいいほうで
四に四をたしても 苦になって
夢はよるひらく

本当に行くというのなら この包丁で母さんを
刺してから行け 刺してから行け
行くのなら
そんな日もあった

サルトル マルクス並べても
あしたの天気はわからねえ
ヤクザ映画の看板に
夢は夜ひらく

生まれ故郷の小泊じゃ
今日もしけだといっている
現金書留きたという
走る妹よ

八百屋の 八百屋のうらで 泣いていた
子供背負った泥棒よ
キャベツ一つぬすむのに
涙はいらないぜ

赤提灯に人生論
やけに やけに哀しくつり合うが
コップ コップ一つの幸福を
なんでのみ終る

夢は夜ひらく 唄っても
ひらく夢などあるじゃなし
まして夜など 来るじゃなし
夢は夜ひらく
(三上寛 『夢は夜ひらく』)

不愉快マンガ

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不愉快マンガと云うジャンル分けが許されるなら、そこに属する唯一の漫画家、新井英樹の連載『RIN』が長期休載と、メジャーの週刊誌ヤングマガジンからドマイナー隔月誌別冊ヤングマガジンへの左遷を経て再会された。

アッパーズ休刊に伴って、『RIN』の前作にあたる『シュガー』が連載終了になってから、待ちに待った『RIN』第一話がいきなり世界タイトルマッチ獲得だったのにも驚いたものだ。プロ第二戦から世界タイトルマッチまでの盛り上げを一切拒絶した形で、リンというボクサーを完成した形で描いてしまう。そこでは、ボクサーの成長物語として読むことを一切拒絶しており、リンと周囲の軋轢と云うただただ不愉快さだけが醸し出されていた。その後何回か続いた連載でも、単純な感情移入を一切許さぬかのような、不協和音が淡々と紡ぎ出されてた。『ザ・ワールド・イズ・マイン』を始めて読んだ時から心酔し切ってしまった私のような新井信者にはそれでも愉しかったが、ボクシングマンガとしてこの作品を読んでいる人からすれば、この上なく不愉快なマンガであろうことは、明らかだった。それだけに、ヤングマガジン誌上での長期休載はとても残念なものではあったが、理解できないものではなかった。

それだけに、待ちに待った連載再開がとても嬉しかったのだが、これがまた、ねじれた展開を見せていて、相変わらずの不愉快さである。今まで徹底的にこき下ろしていた元ヤクザのボクサーの過去を、大半のページを割いて徹底的に描く。それは確かに『ザ・ワールド・イズ・マイン』を経た確かな迫力の残酷描写はあるものの、基本的な筋書きはそれこそVシネマのようなものだ。凡庸なものを凡庸に描いたものが連載第一話。これが新井英樹の才能の枯渇でないことは『シュガー』でのリンのプロ二戦目の描写の巧みさを見れば明らかなことであって、この不愉快さが更なる不愉快さの伏線であることは明らかだろう。新井作品を読んでいる人にとっては、そのことは明らかなのだが、しかし、普通の読者にとっては、これはちょっとした残酷でボクシングマンガとしては面白くないマンガ以上のものではないまま暫く進んでしまうのではないだろうか。というのが少し心配ではある。勿論、物語が転がり始めれば、感動と安易に呼ぶには抵抗を覚えるあの感覚、棍棒で殴られるような力強い衝撃を与えてくれるのだろうけれど。

もう打ち切りは勘弁して欲しい、というのが正直な所だ。

浴室で電動ノコギリを使って人をばらすと云う描写があったのだけれど、これがそのまんま『スカーフェイス』だったのでちょっと笑った。『ザ・ワールド・イズ・マイン』のタイトルも、『スカーフェイス』の中で印象的に出てくる「The World is Yours」のもじりだろうし、新井英樹はきっとこの映画が好きなんだろう。そういえば、トニー・モンタナの物真似が出来る友人は元気だろうか。


新井英樹から入ってトニー・モンタナに出る、狭い日記でありました。

桜桃と燐光

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「しばらく逢わなかったけど、どうしたの?」
「桜桃を取りに行っていたの。」
「冬でも桜桃があるの?」
「スウィス。」
「そう。」
 食慾も、またあの性慾とやらも、何も無い涼しい恋の会話が続いて、夢で、以前に何度も見た事のある、しかし、地球の上には絶対に無い湖のほとりの青草原に私たち夫婦は寝ころぶ。
「くやしいでしょうね。」
「馬鹿だ。みな馬鹿ばかりだ。」
 私は涙を流す。
 そのとき、眼が覚める。私は涙を流している。眠りの中の夢と、現実がつながっている。気持がそのまま、つながっている。だから、私にとってこの世の中の現実は、眠りの中の夢の連続でもあり、また、眠りの中の夢は、そのまま私の現実でもあると考えている。
 この世の中に於ける私の現実の生活ばかりを見て、私の全部を了解することは、他の人たちには不可能であろう。と同時に、私もまた、ほかの人たちに就いて、何の理解するところも無いのである。
(太宰治 『フォスフォレッスセンス』)

はなぢ

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私は自分の居る状況が夢だとわかっていたし、それに加えてゲームだとわかっている状況で、どうやっても真剣にはなれずに、バッドエンドを迎えていた。
目の前には、金剛力士像のような隆々たる体躯と格好をした、身の丈3メートルを超える赤い肌をした男が立っていた。赤肌の金剛力士は、私に向かって、
「ゲームだと思っていたら大きな間違いだ!」
と叫んで、その手に持った鎖を手繰り寄せ始めた。
そこで初めて私はその鎖に気が付き、その先を目で追っていくと、私の足元を経て、頭の方へと向かっていた。驚いて自分の頭を触ってみると、確かに私の頭に鎖がついていた。
鎖はついている、と云うよりは、生えている、とでも言った方が良いような具合で、まるで鹿の角のようにして私の頭頂部からまさに生えていた。
驚いた私の表情を見て、赤肌の金剛力士は、高らかに笑いながら乱暴に私と繋がった鎖を引き寄せると、私は吊り上げられた小魚のように軽々と赤肌の金剛力士の足元に投げ出された。
「ゲームだと思っていたら大きな間違いだ!」
と再び叫びながら、赤肌の金剛力士はその多きな足で私の頭を踏み付けた。
この圧倒的な圧力の下では結局は無駄になるとしても、本来は私の頭を守ってくれるはずの頭蓋骨は、なぜか私の頭には無く、私はただ熟れすぎたキウイのように、ぐにゃりと変形し始める私自身の頭を感じる他無かった。
じわじわと変形し始める私の頭、それに従って、私の目と鼻と口からは大量の液体が押し出されるようにして流れ始めた。
私は「ああ、もう取り返しがつかないな」と思いながら、一方では「まったく酷いゲームだ」と考えていた。
そして、マンホールくらいの大きさになった生温い液体の水たまりを見て、そしてそこに止め処なく流れ出続ける生温かさをとても"リアル"に感じながら、そう考えていた。

そこで目が覚めて、寝ぼけた私は慌てて鼻血の始末をしなくてはいけないと思ったが、意外にも鼻血は出ていなかった。余りにも生々しい出血の感触と生温かさだったので、まだ現実なのか覚めたのか定まらないような気分で、私はこう呟いた。

「そうか、これが噂のゲーム脳か。」

「サムライ・ブルー」って近所のコンビニに書いてあったんだけれど、こんな呼び方前からあったっけ?
ジャパン・ブルーっていうのなら、センスの有る無しは措いても、何となくわからなくも無いけれど、サムライ・ブルーってなるとなあ。
別に彼らの中に侍が居る居ないとか言ってるんじゃなくて、サムライ・ブルーっていう語感だと、何となく憂鬱な侍、侍の憂鬱みたいなイメージの方が近いように思ってしまうということを言いたいのだ。
サムライ・ブルー。月代がちょいと伸びたりなんかしてて、痩せてて、雨の日なんかに社かなんかで雨宿りなんかしながらもの思いに耽っている感じか。

てなことを言ったら、時代劇見すぎなんじゃないかと言われた。

まあ、どうせドイツ語圏の人々はザムライザムライ言うんでしょ。
『ベルリン忠臣蔵』でもそうだったし。

あ、そうか。宮本のマスクはバットマンなんかじゃなくて、ベルリン忠臣蔵リスペクトだったんだな。

白鼻芯

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昨日の夜、近所を歩いていたら、何か小動物が視界を横切った。
猫かと思ったが、素早かったので、「おや」と思った。
その付近は野良猫がとても沢山居るのだけれど、彼らは堂々としたもので大抵我が物顔で歩き、滅多に素早く走るなんてことはないのだ。
よく見ると、猫より小型で、イタチの様な形をしている。イタチのようだが、顔に白い線が入っているので、一瞬スカンクかとも思ったが、どうやらハクビシンのようだ。
夕暮れ時だったので、ひょっとしたらリードがついているのが見えないだけで、誰かが飼っているのかも知れないと思った。というのも、丁度その時前から歩いてくる女性とすれ違わんとしていた時だったし、うちの近所には小さな猿(リスザルだろうか)を散歩させている人も居るからだ。しかし、その女性も同じく怪訝な顔をしたままハクビシンらしき小動物を眺めただけで、すたすたと歩き去った。凡そその歩き方と、ハクビシンの間には、主従の関係は無いと見える。
野良ハクビシンだったのである。
こんなところにもハクビシンがいるのかと驚いた。
そういえば、駒場に居たというハクビシンはどうしたのだろうか。
まだ居るのかな。

先日、私が行っている美容室(美容院と美容室って違うの?)に人を連れて行って紹介した。
その折に、その人が髪を切っている間、私が待っているが帰るかをその人に聞かれのだけれど、私は
「待ってた方がいいなら待ってるけど」
と答えた。
その人が、その話を美容室の人々にしたところ、
「ああ、そういう風に言いそう」
と言われたのだそうだ。

私にはよくわからないのだけれど、どうなんだろう。
「待ってた方がいいなら待っているけど」と云う言葉のどのあたりが私らしいのだろう。
そんなに個性が現れる言葉なんだろうか。

他の人がどう言うのか解らない。

どうでもいいや。


自分語りだけじゃ何なので、ある人から教えてもらった話。
片道二車線ある道路で、自分が乗っている車が渋滞に巻き込まれかけているとする。
マーフィーの法則ではないけれど、自分が居ない車線の方が良く進んでいるように見える。だとしたら私は車線を変更すべきだろうか、と云う話。
その人が言うには、二車線のうちどちらかが確かに進むのが早いとしたら、進むのが早い方の車線上に居る車の数の方が、もう一方よりも少ないことになる。だから、私が二車線のうちのどちらかにランダムに配置されているとすれば、私は進むのが遅い方の車線上に配置されている確率のほうが高いことになる。
だから、車線変更はした方がいい、ということになるのだそうだ。

私は免許を持っていないので解らないけれど、高速道路って追い越し車線とかないの?だったら条件は同じではないような気がするし、車線変更した先でまた詰まったら再び変更すべきなのかどうなのかもよく解らない。
どうなんですか偉い人。

口笛小曲集

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哀しい乙女よ
彼はきみの
白馬に乗った
王子ではない
ほんとうの王子は
白馬になんぞ
乗らないのだ
今ごろ物乞いと
着る物をとりかえて
あるいは
魔女に
カエルの姿にされて
卑しき街を
歩いてる
誇り高き
魂を抱いて―
乙女よ
きみが
それに
気づかないだけだ
(山川直人 『探偵事務所』)

そんなものかもね。

人で溢れる週末の渋谷・公園通りを、「ほら!」と明朝体で書かれたTシャツを着た外国人が笑顔で全力疾走していた。

超現実は其処此処に溢れているものだ。

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