2006年4月アーカイブ

神保町に行ってきた。
目的は古書店街で、新潮文庫版の大江健三郎の文庫本を探すことと、同じく新潮文庫版の安部公房の絶版ものを探すこと。
とはいっても、岩波以外の文庫はワゴンセール扱いのものが殆どで、著者別にも分かれていることもなく、見つけることはほぼ不可能であった。
絶版文庫フェアをやっている小さな店を見つけたので、安いのばかり何冊も買い込んだので、それなりに満足ではあったのだが、『終りし道の標べに』(安部公房・新潮文庫・絶版)は1200円だったので諦める。でもまあ、カミュの『カリギュラ・誤解』や深沢七郎の『庶民列伝』などが買えたのでよしとしよう。久坂葉子関連の本も買えたし。

それにしても、新潮文庫での安部公房の絶版って多いなあ。売れないんだろうな。全集が欲しい。全集は一冊ごとに表紙に金属のプレートがついてて、かっこいい装丁なんだよな。しばしば無機質と喩えられる安部公房作品にあまりにもぴったりなんだよな。色もグレーでよ。高校の時に古本屋で見てから、ずっと忘れられないんだよな。

読み終わった本は書くようにしているけれど、買っただけの本は最近は書かないようにしていた。買っただけで読まなかったら意味はないから。だが、今日は古本での収穫という日常の意味も込めて書いておこう。

寺山修司 『さかさま恋愛講座 青女論』 角川文庫 200円
寺山修司 『戯曲 毛皮のマリー』 角川文庫 500円
大江健三郎 『小説のたくらみ、知の楽しみ』 新潮文庫 100円
大江健三郎 『叫び声』 講談社文芸文庫 200円
奥野健男 『太宰治論』 角川文庫 100円
深沢七郎 『庶民列伝』 新潮文庫 100円
萩原朔太郎 『詩の原理』 新潮文庫 200円
カミュ『カリギュラ・誤読』 新潮文庫 200円
宇佐美斉訳 『ランボー全詩集』 ちくま文庫 300円
富士正晴 『贋・久坂葉子伝』 講談社文庫 500円
高階秀爾 『20世紀美術』 ちくま学芸文庫 400円

そう、買いすぎたのである。

映画雑誌の話

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『CUT』の最新号を立ち読みしたら、映画オタクが選ぶ映画ベスト150という特集だった。一位は『ショーシャンクの空に』と云うことだったので、少々意外ではあったが、まあ、良い映画には違いがない。ちなみに、『暴力脱獄』は77位。まあ、『暴力脱獄』が100位以内に入っているだけでもよしとすべきなのかもしれないが、どうなんだろう。と思ったが、結局の所、別に『CUT』で何位にランキングされていようと大した事はないなと気が付いたのであった。
奇しくも同時期に発売の『映画秘宝』にも、『ショーシャンクの空に』の特集記事が掲載されていた。「イエスタデイ・ワンスモア」と云う過去の名作映画を扱う連載なのだが、書いているのは町山智浩。この人の書く映画評は読み応えがあって素晴らしい。そして、この『ショーシャンクの空に』の特集も中々のもので、主人公をキリストの寓意と読み解いたり、『暴力脱獄』との関連に触れていたり、監督フランク・ダラボンの経歴にも触れていたりと、読み応え十分だ。
『ショーシャンクの空に』と云うと、『ニューシネマパラダイス』などと同じように、殆ど神聖視されているような気がする。確かに素晴らしい映画であるし、実際私自身も感涙したのだが、いつからか「好きな映画は『ショーシャンクの空に』」と云うことを聞くと違和感を感じるようになっていた。
『ショーシャンクの空に』は確かにとても素晴らしい名作だ。
だけど、他にも素晴らしい名作は沢山ある。
私の違和感はそう言いたがっているんだろうか。

『ショーシャンクの空に』が好きなら、『暴力脱獄』も観てみようぜ。「ポール・ニューマン」コーナーに置いてあるレンタルショップだってあるだろう。B級臭いタイトルで引くかもしれないけれど、原題は『Cool Hand Luke』で、暴力なんて一切振るわないというタイトルに偽りありなのだから、気にしないで問題はない。『ショーシャンクの空に』と同じくキリストの寓意に満ちた作品で、実際極めて似たカットも存在する。別に『ショーシャンクの空に』を腐したいわけではなく(何より、両作品から受ける印象は全く違う)、他にも面白い映画はあるよ、ってだけなんだ。

『ショーシャンクの空に』の監督といえば、フランク・ダラボン。監督作では他に『グリーン・マイル』や『マジェスティック』が有名だが、この人って『ザ・フライ2/二世誕生』の脚本書いてたらしい。びっくり。出世作以前はジャンル映画の脚本家だったのだそうだ。

『ショーシャンクの空に』の話題が出れば、ちょっとしたトピックに使えるのかと思ったけれど、考えてみれば、どうせ誰も『ザ・フライ2』なんで観てないのだろう。

指輪の王達

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LOTRの三部作を全て、しかも、スペシャル・エクステンディッド・エディションで一度に観るという気狂いイヴェントに行ってきたので、生活リズムも体内時計も現実感も全て喪失してしまった。五時開演で六時二十分終演。新文芸坐は非現実的ではあるが、異次元空間ではないので、一時間二十分の上演ではなく、十三時間二十分なのである。明るいうちに映画館に入って、出てきたらまだ明るいと云うのは中々強烈な裂け目を感じる体験なのであった。残ったのは目の疲れと足のむくみと新文芸坐のポイントと腹いっぱいの満足感だ。チケットを買ったのが遅かったので、一番前の席で観る羽目になったので、頸と目が切ない有様である。『ドリーマーズ』ではスクリーンで反射した光が一番最初に届くからと、いつも最前列で映画を観るシネフィルが主人公だったが、スタンダードならまだしも、こういう一大スペクタークルのようなものは無理があるのだ。しかしまあ、たまらん作品だ。映画史上燦然と輝くと云うキャッチフレーズが誇大じゃない、匹敵するレヴェルが今まで数作しかない程度には数少ない作品だろう。
サムの漢気に泣いた。

[24] 『マンダレイ』 (監督:ラース・フォン・トリアー) シャンテシネにて 4/20
ちょうど2年ほど前に私は『ドッグヴィル』を観て、感想を書いた。
http://huggy.jugem.cc/?eid=3#sequel
『ドッグヴィル』のような連続と、時折挟み込まれる断絶によって感じられる不穏さは『マンダレイ』に於いては影を潜めているように思えた。では、穏当なのかと云えば、ラース・フォン・トリアー監督作品において、そんなことはありえないのであるが。
まず、なぜ『ドッグヴィル』(前作と表記したい所だが、それには違和感が残る)で印象的だった連続と断絶がここでは存在しないのか、その理由はまず、セットにあるだろう。黒い地面に白線で描かれたラインのみの舞台で役者達が演じるのという設定は相変わらずだが、冒頭に登場する「ママ」の家を目にして、観客は驚くだろう。なぜなら、其処には階段が確かにあり、『ドッグヴィル』では存在しなかった2階がそこには存在するからだ。『ドッグヴィル』で大きなインパクトを残した、あるはずの壁を透かして見えないはずの人々が見えると云う演出方法を、まるで無効にするような高さの差異が其処には存在するのである。実際、『ドッグヴィル』では嫌になるほど各家の配置や、住人の相互位置が解り、また、そう強いるように真上からの俯瞰の映像が随所に挟みこまれていたのだが、『マンダレイ』では、中々各施設の相互の位置関係が把握しにくいように思う。これは、この黒舞台に白線という演出方法を使っていることから考えると、中々異常なことではないだろうか。ギャング達がどこに暮らしているのか、また、「再契約」後の白人の住居はどこなのか、それらと、黒人達のベッドとはどのような位置関係にあるのか、それらが中々見えてこない。「ママの家」は例外として、それらは全て「平屋」(しかも壁の無い)であるはずなのに、である。まるで、敢えて繋がりを感じさせるのを拒絶しているかのようでもある。そのため、『マンダレイ』では、『ドッグヴィル』と同じく、ハンディによる映像は、相変わらず奇妙なずれを生じさせて切り替わるが、それが殆ど気にならない。なぜなら、『ドッグヴィル』では常に連続が意識されていたが、『マンダレイ』に於いては、そもそも「連続」自体が存在しないからだ。『ドッグヴィル』では空間は水平にのみ広がっていたが、『マンダレイ』ではその縛りは解かれ、「ママの家」を顕著な例として、水平方向の連続は最早存在せず、垂直方向の高低差がそれを解体してしまっているのである。
『マンダレイ』に高低差がセットとして導入されたのに対応するかのように、主人公グレースの人物像も変容している。『ドッグヴィル』では、ニコール・キッドマンが彼女ならではの気高さを感じさせる美しさで、ラストシーンの印象的な月光のような鋭さでグレースを演じていた。ニコール・キッドマンのグレースは、首に枷を嵌められていても、ポール・ベタニーやクロエ・セヴィニーなどのドッグヴィルの人々とは明らかに異なった気高い雰囲気を持っていた。だからこそ、彼女の「傲慢さ」を語る部分が生きていたようにも思える。彼女は、水平方向に広がるドッグヴィルのなかで、独り少し高い位置に居るような、そんな高低差を感じさせる雰囲気を持っていた。
しかし、『マンダレイ』でグレースを演じるブライス・ダラス・ハワードはそうではない。ニコール・キッドマンのような気高さよりも、親しみやすい印象の方が強いように思う。ブライス・ダラス・ハワードはしばしばヒステリックな激昂を見せる。そして、また、黒人達と喜びを分かち合うかのようにして喜ぶ。その時、彼女は、黒人達と同じ高さにたって激昂し、また、喜んでいるように感じられる。そこにはニコール・キッドマンのような気高さはないが、水平方向の連続性が解体された『マンダレイ』では、其処此処に隔絶されて偏在する人々或は場所を、ブライス・ダラス・ハワードが繋ぎ合わせているかのようだ。つまり、『ドッグヴィル』では平屋的な水平方向の連続性の中にグレースが垂直方向を意識させる存在として居るが、『マンダレイ』では、そもそも平屋的な構造の失われた、セットの垂直方向への伸びによって隔絶された、各々の場所を、水平方向を意識させる存在としてグレースが居るのである。
『マンダレイ』の主演がニコール・キッドマンではないと聞いたとき、(『メイキング・オブ・ドッグヴィル』でニコールの憔悴は明らかだったし、何より、この変態監督に二作も付き合える主演女優が居るとは考えにくいから)やっぱりと云う印象だったが、それと同時に、次は、どのようなグレースになるのだろうと、想像できなかった。そして、実際このグレース、『マンダレイ』のグレースを見せられると、ああ、こう来たかと納得してしまう。単なる主演女優が変わっただけではなく、続編と呼ぶことに抵抗を感じるぐらいに、印象が異なる作品となっていた。

全体的に感じた印象を言葉にするのは難しいが、敢えて曖昧なまま言うなら、「どぎつさ」が減ったように思う。先に述べたようなニコール・キッドマンの鋭さがなくなったのもそうだが、ニコール・キッドマンのあの悲惨なベッドシーンの見えない壁越しに見えないはずのドッグヴィルの人々が見えると云う、悪意に満ちた力強いシーンのような、どぎつさは、幾分減ったように感じた。私の感受性が衰えただけなのかもしれないが。それに、笑わせようとしているシーンも幾つかあったようだし(顔を黒くさせるのはワラウトコでいいんだよね)、井戸のシーンや、砂嵐の中駆けるティモシーなど、「解りやすい」場面が多かったように思う。

これだけカラーをがらっと変えて、三部作最後の『ワシントン』は一体どうするつもりなんだろう。変態っぷりを楽しみにしてるぜ、ラース・フォン・トリアー。

そして、相変わらずスタッフロールのBGMはデヴィッド・ボウイの"Young Americans"だった。ええ曲やね。

All the way from Washington
Her bread-winner begs off the bathroom floor
"We live for just these twenty years
Do we have to die for the fifty more?"
(David Bowie "Young Americans")

酒の話

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『Beer & Pub』なんて雑誌が出ていることを知らなかった。編集長は、「あの」藤原ヒロユキ氏だそうな。
今回は「素晴らしきベルギービールの世界」が特集。
丸の内のBelgian Beer CAFE Antwerp Centralでは、レフ・ブラウンのドラフトが飲めるのだそうだ。
レフ・ブラウンのドラフト、さぞかし美味いんだろうなあ。以前Belgoでレフ・ブロンドのドラフトは飲んだが、堪らなく美味だったものな。
http://www.belgianbeercafe.jp/
この店は昨年11月にオープンしたらしい。
いいなあ。丸の内かあ。

この文章
http://blog.mensura-zoili.com/archives/2006/02/post_283.html
を書いたこともあって、ずっとSUZUが飲んでみたくてしょうがなかった。実際、ショットバーではカクテルで飲んだりはしたことはあったのだが、SUZU自体の味をイマイチ把握出来なかったこともあり、ボトル購入。早速、ロックで少し飲んでみると、濃い。これは割って飲むものだな。
若干土臭くもあるが、草っぽい爽やかさと甘みが混じった香りが独特だった。トニックウォーターで割って、ライムとか入れたら美味そうだ。
あと、オロナミンCみたいな真黄色してる。

先日、「わたみんち」なるチェーン居酒屋で、オリジナルウィスキーWATAMIを飲んだ。シングル190円で、ウィスキーにもかかわらず透明という不思議液体は、これならばウィスキーボンボンの方がウィスキーだと言いたくなる程度の香りしかしなかった。それをボトル(980円!)でオーダーし、空腹でガブガブあおった私には、猛烈な悪酔いが残されて、胃が壊れた。

そんなこんなで相変わらず酒毒に侵されておるのであります。
そろそろ腐って堕ちるのであります。

Hank Mobleyと云う人を聴いて、ええんちゃうかな、と思ったわけです。
Radioheadなんかも、ええんちゃうかな、と思ったわけです。
あかんのかな。
ブッカー・リトルが全然見つからん。
大江健三郎も全然見つからん。

大江健三郎はほんまに見つからん。
比較的大きな本屋でも、あって四冊。大体二冊か三冊。
日本で史上二人しか居ないノーベル賞作家の本を置かずに、どんな本を置くのやら。
絶版でも何でもない新潮文庫がこの有様。
あきれかえってひっくりかえるわ。

親不知

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親不知、といえば、親を気遣うほどの余裕もないほどの断崖絶壁のことだったと思うのだが、さしあたり私に問題なのは、右上の臼歯だ。親が知ってか知らずか生えてきたこの歯のせいで、どうにも痛むのである。私の頭には、確かに大学二年生のころに、上顎だったか下顎だったかは忘れたが、確かに奥歯が生えてきた記憶が二回ほどある。しかし、今回紛れも無く痛みを伴って再び奥歯が生えてきているということは、今度の歯こそが親不知であって、大学二年生の歯は単なる奥歯だったということになる。だとしたら、私は成人してからも歯が生え揃っていないという気持ちの悪いことになるのだが、それはこのさいどうだっていい。どうだっていいが、矢張り気持ちが悪い。
結局、親不知は性根と同じくまっすぐに生えていたので、急いで抜く必要はなく、単に周りの肉が炎症を起こしているだけのようだ。抗生物質を飲み続け、酷い時にはロキソニンという穏当な経過となった。

mixiの名前を変えた。

不定期誌『エソラ』のvol.3を買った。
http://shop.kodansha.jp/bc/magazines/esora/
黒田硫黄の新作と五十嵐大介の新作が目当てで買った。
実際、黒田硫黄の『多田博士』も、五十嵐大介の『鬼、来襲』も非常に面白かったが、予想以上に素晴らしかったのは、加藤伸吉の『愛読者』だった。加藤伸吉は『国民クイズ』も『バカとゴッホ』もとても好きで読んでいるが、この短篇はそれ以上と言ってもいい出来のように思える。黒田硫黄にも、五十嵐大介にも、優るとも劣らない出来だ。御得意の近未来の世界観にあわせて、くすぶっている青年と、彼が拾った日記帳の中の人物とを重ねて描いている。とても美しいラストシーンだった。
この本(雑誌)は、全て読みきり書き下ろしで、漫画と小説が掲載されている。
小説パートは、絲山秋子や伊坂幸太郎など、これまた旬な作家が担当している。
図らずも、私の初絲山秋子となったのは、全てひらがなで書かれた『みなみのしまのぶんたろう』となった。他のも読んでみようか。
とても面白かった。

あと、『多田博士』に登場する久間教授がどうみてもフィリップ・シーモア・ホフマンだった。

さらば星座

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「機会があったらまた飲もうね。」
「はい、是非飲みましょう。」
もう何度目かわからない、大抵は「機会」が実現されぬまま終わる会話を交わしたが、この日だけは少し胸に引っかかりが残った。この日、私は、東京から去っていく友人の送別会の幹事をしていて、多くの人とこの来るはずもない「機会」の約束をかわした。そんな「機会」は、もう訪れることはないのだ。なぜなら、私が送別会の幹事を引き受けたのは、その友人と親交があったということ以上に、何より私自身が東京を去って故郷に帰るという理由からだったからだ。自分の送別会なんて柄でないからやりたくはないし、湿っぽいのは嫌いなのが、最後に一度顔を見たいひとも何人か居ると云う状況のところに、幹事をやってくれないかという依頼が来たので、引き受けたのであった。きっと、呼ばれた人も、まさかそんな意味合いが含まれているなんて思いもしない意図を含んで手伝った私は、結局のところ不純であり、猾くもあるのだが、それも私自身に他ならぬのだから、そう悪いことでもなかろう。
ともあれ、友よ、さらば。
そう思いながら、二日酔いの頭に頭痛薬が効くことを願っていると、新幹線はゆっくりと走り出した。
ともあれ、友よ、さらば。
また、「機会」があれば、会いましょう。

三月の記録

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三月の記録

<本>
<11> 大江健三郎 『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』 
<12> 大江健三郎 『個人的な体験』
<13> 山田宏一 『次郎長三国志 マキノ雅弘の世界』
<14> 大江健三郎 『ピンチランナー調書』
<15> 内田樹 『寝ながら学べる構造主義』
<16> 赤瀬川源平 『超芸術トマソン』
<17> 吉本ばなな 『アムリタ(上)』
<18> 吉本ばなな 『アムリタ(下)』
<19> 麻野 一哉・飯田 和敏・米光 一成 『日本文学ふいんき語り』  
<20> 大江健三郎 『洪水はわが魂に及び(上)』
<21> 大江健三郎 『洪水はわが魂に及び(下)』

映画
[18] 『次郎長三国志 第九部 荒神山・前編』 (監督:マキノ雅弘) シネマヴェーラにて
[19] 『次郎長三国志 第一部(東映版)』 (監督:マキノ雅弘) シネマヴェーラにて
[20] 『次郎長三国志 第七部 初祝い清水港』 (監督:マキノ雅弘) シネマヴェーラにて 
[21] 『ボブ・ディラン ノーディレクション・ホーム』 (監督:マーティン・スコセッシ) シアターイメージフォーラムにて 3/28

漫画
(9) 新井英樹 『キーチ!!』 8巻
(10) 五十嵐大介 『リトルフォレスト』 2巻
(11) 五十嵐大介 『そらとびタマシイ』
(12) 山田芳裕 『へうげもの』 1巻
(13) たなか亜希夫・橋本 以蔵原作 『軍鶏』 23巻

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