1.フィクショナルな日常の最近のブログ記事

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大江健三郎の新刊『水死』刊行にともなって行われた、丸善でのサイン会に行って来た。
『水死』を購入したのは1ヶ月以上前だけれど、未だ1頁も読んでいない。
今はまとまった時間がとれないので、読み始めるのはまだ数ヵ月後になるだろう。

私が購入したときの記憶では、確か整理券が100枚くらい配布されたはずなので、行列もそれぐらいだったのだろう。
行列を見てみると、20代と思しき人は、5人から10人程度だっただろうか。

サイン会に来るほど、熱心に大江健三郎を読む他の20代の人は、何を考えているのか、少し気にはなった。

大江健三郎は、書店の一角に設置された机の前に座り、太めの万年筆で丁寧にサインをしていた。
整理券に記された購入者の氏名を確認するようにゆっくりと楷書で書き、その後に自分の名前を書いて判子を押した。
その間ずっと俯き、書き終わるとちらりと購入者を見て、礼を述べていた。

見慣れた自分のフルネームが、大江健三郎の手によって、少し時間をかけて書かれるというのを見るのは、何だかとても不思議な感じがした。
私の苗字は少し紛らわしい漢字があるのだけれど、質問して確かめることもなく、正しい文字が丁寧に書かれていた。

大江健三郎が記したサインには、とても見覚えがあって、ああ、そういえば大江健三郎のサインは、こういう筆跡だった。と思って、それはどこで見たのだろう、と思ってしばらく考えて思い出した。
それは、自宅の書棚にある、『青年の汚名』の背表紙が、自筆を印刷したものだったからだ。
『青年の汚名』自体は一度読んだのみだったけれど、少し手に入れるのに手間取った作品だったので、印象に残っていたのか、もしくは、書棚の中で、手書き文字が珍しかったので、印象に残っていたのか。

長い列を少しづつ消化してい間、大江健三郎はほぼずっと俯いて書いていた。書き終わってちらりと相手を見て礼を言うときを除いて。
その様子は、何かに耐えているような感じがした。

おそらく、あまり得意ではないのだろうな、と思ったのだけれど、それでも、しかたなくいやいややっているという傲慢さは微塵も感じられない、なんだか不思議な雰囲気だった。

他の多くの人同様、握手をしてもらったが、意外に力強い握手だった。

2ヶ月で体重が10kg以上減った。

自宅に体重計がないので、どこからどこまで減ったかとか、体脂肪率とかは解らないのだけれど、最近計ったところによると、少なくとも10kgは減ったようだ。

私は今までの人生のうちに、食餌制限による減量というものをただの一度もしたことがなくて、今回初だったのだけれど、拍子抜けするほど簡単に減るもので、驚いた。もともとの母数が大きいから、減った数も大きいということもあるのだろうけれど。
そこで、少し思うところがあったので、書き留めておこう。


そもそも、なぜ減量しようかと思ったかというと、精神的な理由が大きい。それはつまり、なぜ体重が増えたかということにつながる。
私の体重が増えたのは、端的にストレスがたまると、とにかく食べる量が増えるためだろう。そして、さらに悪いことに、私は自分で料理をするということがストレス解消にもなっている。そのために、ストレスがたまると、自分で料理を作り、そのストレスが強いほど、手の込んだ料理をしたりする。そして、出来上がった大量のそれを自分独りで食べる。

檀一雄が何かで書いていた場面でとても印象に残っている1シーンがある。それは、主人公が、キッチンつきの安宿に長期滞在していて、鬱々としている時期に、大量の材料を買い込んで、料理を作る(確かビーフシチューだったか)という場面だ。しかし彼は、作って少し食べるか食べないかでそのまま放置してしまい、食材も片付けないまま、鬱々とし続ける。やがて腐っていく料理と、蟲が這い出し始める食材の山。
このシーンが、エッセイだったか私小説だったか忘れたのだけれど、とにかく作者の檀一雄を強く連想させるものであることは確かだったと思う。実際、檀一雄はとても料理が上手で、小さい頃から自分の食べるものは自分で作る習慣というものがあったらしい。
本来、生命力の現れであるはずの、料理を作るという行為が、逆説的に陰鬱な表現となっているこの場面は、とても印象的だ。檀一雄自身が、太宰治と自分との違いは、肉体の頑強さにあるといっていたことを思い出す。そしてその頑強さは、頑強であることの皮肉さというものを書いていたように思う。

ともあれ、私自身檀一雄のように、大掛かりな料理はしないし、このような切実さで煮込み料理は作らないけれど、ストレス解消のために作っていたことは確かだ。そして、檀一雄とちがって、それを無理して自分で食べるということが多かった。

まあ、そんなことをしていれば、体調を崩すことは明らかで、元来強くない胃は荒れ、口角炎が絶えない時期もあった。
今思うと、あれだけ無茶な食生活をしていて、体重があの程度で収まっていたこと自体ちょっとおかしい。基礎代謝が多少高かったということと、消化がうまくいっていなかったということから、ある限度にとどまっていたのだろう。

そんなこんなで、体調を崩したこともあって、精神的にも良くないのだから、少し食事のあり方を変えようと思い立ったのである。厳密に言えば、食餌方法の異常は結果であって原因ではないのだけれど、これがさらに原因になるスパイラルだけは避けられるということだけれど。それが10月末くらい。


もともと料理自体は自分でしているのだから、作る量と食べる量、そして材料と調理法を変えればよかった。
具体的には、野菜メインにすること、そして、なるべく少なめの量を作ること。

レシピはマクロビ系のレシピサイトなどを参考にした。外食を除いては、ほぼ野菜ばかり食べていた。
調理法では、油を少なめにするように、煮物にするとかだろうか。

幸い、私は好き嫌いがなく、野菜も好きなので、特に苦ではなかった。
さらに、季節柄、南瓜や蓮根、白菜も美味しい時期で、これらの野菜ばかり食べていたように思う。

食事の方法としては、なるべく3食きちんと食べるということ。そして、間食をしないということ、胃で未消化のまま眠らないということ、くらいだろうか。
水もたくさん飲むようになったけれど、それはもともと多く飲んでいたから、あまり変化はなかったかもしれない。

そんなことをしていたら、体重は簡単に落ちた。

以上が体重を減らすまでの経緯だ。


そして、この過程で興味深かったのは、自分にとって、食生活で欠かせないものと、特に無くても大丈夫なものとの区別がついたということだ。

まず、欠かせないものは、珈琲とチョコレート。
珈琲は絶対に欠かせなかった。間食が減った分だけ、珈琲を飲む量が増えた。珈琲を飲むと、空腹感が収まるように思う。今後の人生においても、珈琲は不可欠だろう。

そしてチョコレート。珈琲にチョコレートは最高のマリアージュだと思う。とはいっても、できるだけ間食をしないようにしていたので、チョコレートを食べるのもかなり減った。
以前はチョコレートは部屋に欠かさずストックがあったのだけれど、それをやめた。ストックをしたとしても、ダークチョコレート、カカオが70パーセントくらいのものに代えた。そして、それを珈琲とともに一欠けら食べるようにした。
ダークチョコレートも90パーセントカカオとかだと、苦すぎるけれど、70パーセントくらいのものは、案外美味しい。珈琲にもよく合う。

それでも、やはり甘いチョコレートも恋しくなる。そんなときには、高級チョコレートといわれる部類のチョコレートを少しだけデパ地下などで購入し、食べていた。
デメルもヴィタメールも美味しいし、オリオール・バラゲが大好きだ。

これがまあ、美味い。たまに食べるから余計に美味いということもあるのだろうけれど。
チョコレートの美味さは実際、官能的ですらあると思う。
もしチョコレートがダイヤモンド並に希少であったら、それを巡って殺し合いが起こるだろうと言った作家が誰だったか忘れたけれど、実際その通りだと思う。
脳も溶ける。

私の場合はチョコレートに顕著だったのだけれど、『刑務所の中』であれほど甘いものが渇望されていたのが、少し解った気がする。
実際、間食をやめて、甘いものを一切食べていないと、むしょうに甘いものが食べたくなる。『刑務所の中』でアルフォーとコーラがあれだけ美味しいものとして描かれていたのがとてもよくわかった。
酒は飲まなくても我慢はできるけれど、甘いものは切実に駄目なのだろうな。

まあ、そんな具合。

次に、以外に大丈夫だったものは、酒だろうか。2ヶ月間まったく酒を飲まなかった。2ヶ月全くチョコレートを食べないということはおそらく耐えられないけれど、酒は大丈夫だったというのが、自分としては意外だった。
まあ、最近はすでに飲んでいるし、その際にやはり酒は美味いと感じたので、これからも飲むだろうけれど。
以前のように痛飲することはもうやめようかと思っている。
美味しく感じられる限度にしようか。といっても、ワインだと2本ぐらい美味しく飲めるのだけれど…。

あとは、スナック菓子だろうか。確かに時折ポテトチップスが食べたくなったりはするけれど、それほど強い欲求でもなかった。

以上が食べなくても大丈夫だったものと、大丈夫でなかった不可欠なものだ。

随分と長くなった。

あと、体型の変化と美醜の問題について書こうと思ったのだけれど、これはまた次に書こうか。

この1週間で少し睡眠不足だったので、昨日は家に帰ったら夕食もとらずに眠った。
だるくなるくらいに眠って、今朝目を覚ましてラジオをつけたら、忌野清志郎の訃報が伝えられていた。

うそだろ、忌野清志郎が死ぬなんて。

きっと、寝すぎたから、頭がどうかしたんだ、そう思ってインターネットのニュースを見ても、やっぱり大きく扱われている。今まで、有名人の訃報が伝えられて、それを聞いて「ご冥福を」と言う人の気持ちが良くわからなかった。おそらく、自分が影響を受けたけれど、面識のない人の訃報というのが、今までなかったから、想像できなかったのだろうと思う。
私は後述するように、忌野清志郎にはとても大きな影響を受けている。そして、今回同思ったかというと、整理しては言えない。それでも、やっぱり衝撃は大きい。それは、きっと、忌野清志郎が、自分の一部になっていたからだと思う。

私が忌野清志郎を初めて知ったのは、中学生の頃だった。TVで流れていた"スローバラード"を聴いて衝撃を受けた。あの声、あの歌詞、あのメロディ。そしてその曲は、随分と昔のヒット曲だということ、今は解散したRCサクセションというバンドの曲だということ、忌野清志郎という人は今も音楽を続けているということを知った。
私はそれから、tsutayaに通って、RCサクセションと忌野清志郎のCDを片っ端から借りた。当時の小遣いでは、すべてのCDを買うことはできなかったし、私はとにかくすぐにでも少しでも多く彼の曲を聴きたかったからだ。

そして、daydream believerだった中学生の私は、周りがラルクとかを聴いている間、ずっと忌野清志郎とRCサクセションの曲を聴き続けた。今思えば、他人と違うものを聴いてみたいという、思春期独特の自意識の発露とも思えるけれど、発売禁止となった過去の曲のエピソードなんかはとてもかっこよかったし、かっこいい大人というのは、こういうものだと思っていた。

そして、高校生になっても、聴き続けていると、君が代のパンクバージョンが発売禁止になって、インディーズから発売されるというニュースを聞いた。私はやっぱり、とても嬉しくて、このCDは買った。今思えば、初めて買った忌野清志郎のCDがこれで、これ以降私は、同時代の忌野清志郎を追い続けた。

今回の訃報で、違和感を感じたのは、やっぱり多数のニュースは、RCサクセションの忌野清志郎としての扱いで、1990年代以降の曲については触れられていなかったように思うからだ。私にとっての忌野清志郎は、同時代の音楽であって、だからこそとてもかっこよかった。

その思いは、大学生になっても変わらず、東京に出てきて一番初めに入ったライブも、忌野清志郎だった。当時ラフィータフィーというバンドを結成していて、その2度目の全国ツアーの東京公演だ。ライブハウスでの全国ツアーというコンセプトだったこのライブも、渋谷のライブハウスで行われていて、とても近くに、中学生から聴き続けた忌野清志郎がいるということが、何か信じられないことのように思えた。
ライブの最後には、出口でメンバーが挨拶をして送り出すというのも、夢の世界のようだった。
そして、Tシャツがビショビショになるほど激しく動いた私は、帰り着いた家の玄関で、両足が攣った。

そのライブで、とても印象的だった場面がある。
それは、"夢"という曲の前のMCだ。
俺には夢がある!俺には夢があるんだ!I have a dream!
と叫んだあとで、
世界中から、戦争がなくなることだ!と忌野清志郎は叫んだ。

そして、その後に始まったのは、その激しさと対照的なくらいに、穏やかで、美しい曲だった。

夢があるのさ ひとつの夢が
遠い遠い道でも大丈夫さ
夢をこの夢を忘れないから

夢にのらないか 人は笑うだろ
ちっぽけな夢だけど 大丈夫さ
夢をこの夢を信じられるかい?

夢はそのままじゃただの夢のまま
誰かがそばに居なけりゃ
この夢が可愛そうだよ
この夢が可愛そうだよ

君は笑うかな? おかしな夢さ
力を合わせりゃ 大丈夫さ
夢をこの夢を信じられるかい?
(ラフィータフィー "夢")

このMCと曲に、今思えばとても忌野清志郎らしさが表れていたのだと思う。つまり、原発反対の歌や、FM東京批判の歌や、北朝鮮批判の歌や、君が代など、様々の話題になった「怒りの歌」の側面と、スローバラードなどのセンチメンタルな側面と。
その両面が、矛盾せずに同時に存在しているからこそ、とても魅力があったし、私もああいう大人になりたいと思ったのだろう。

その後も、新しいアルバムが出たら買い、絵本のサイン会にも行って直筆サインを貰ったりした。
私が行ったツアーの前年のツアーのドキュメンタリー映画『不確かなメロディー』は劇場で観たし、DVDだって買った。
(このエントリーは、DVDを酒を飲みながら観た後に書いている。)

つまり、私は、21世紀の忌野清志郎のファンだったわけだ。

一番いいアルバムは"Ruffy Tuffy"だと信じているし、"トランジスタラジオ"や"雨上がりの夜空に"よりも、このアルバムに収録されている曲の方が好きだ。

先ほど引用した"夢"は素晴らしすぎるし、"Sweet Lovin'"もとても良い。
また、このアルバムではないけれど、"水の泡"を失恋したときに聴いたりしたっけか。
斑尾高原まで自転車で行ったときも、Ruffy Tuffyのステッカーを自転車に貼っていった。

ああ、何だかいかに自分がファンか、を書いているだけのように思う。つまらないな。


そういえば、最近、忌野清志郎に関する不思議なエピソードがあった。

先日池袋のお好み焼屋でお好み焼を食べながら飲んでいたら、BGMに流れていた曲が、忌野清志郎がタイマーズ名義でカバーした"デイ・ドリーム・ビリーバー"だった。

この曲も私は最も好きな曲の一つなので、一緒に飲んでいた人相手に、ご機嫌に話したりしてしまった。

少し暑苦しかったかと反省していたら、翌日、全く別の、私が忌野清志郎のファンだと知っている友人から、忌野清志郎が歌っている"デイ・ドリーム・ビリーバー"ってどのアルバムに入っている?というメールが届いた。

2日連続で、忌野清志郎、しかも"デイ・ドリーム・ビリーバー"の話というのが、なんだかとても不思議だった。

さて、今、私は紆余曲折ありながらも、夢をもって生きていて、その夢を話した人には、全くdaydream believerかのように見れるけれど、なんだかんだいって、此処にいるのは、東京に来て間もない頃にきいた、忌野清志郎の俺には夢がある。夢もっているか!という問いかけの影響はとても大きいのかもしれない、と思っている。

これだけ大きな影響を受けた忌野清志郎の死を聞いて、結局私はどう思ったか。身近な人の死というのとは、少し違う。なんとも不思議な衝撃だ。

もう忌野清志郎の新譜が聞けないし、ライブにもいけないのは残念でならない。何より、忌野清志郎という表現者がいなくなってしまったのはとても残念だ。

けれど、今は、忌野清志郎から影響を受けた、夢を、夢のそばにいようと思う。

そういえば、"デイ・ドリーム・ビリーバー"は、以下の歌詞で締めくくられる。


ずっと夢見させてくれてありがとう 
僕は daydream believer そんで 彼女がQueen

(ザ・タイマーズ "デイ・ドリーム・ビリーバー")

ずっと夢見させてくれてありがとう。
私はまだdaydream believerだし、これからもたぶんそうだ。そんで、あなたは私の中でのロックンロールKINGだった。

セットリスト

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もうすぐ2ヶ月何も書いていないことになる。

いくつもの書きそびれたことは少し惜しいけれど、もうそれをそのままの形で書くことはできない。

暇を見て書き足していければよいな。

時系列順に、思い出せることで、かつ、書けること。

『落下の王国』 飯田橋ギンレイホールにて

Brad Mehldau Trio ライブ サントリーホールにて

Suntory Hall 2009.3.3 Start at 19:07

Set List
1. Dream Sketch (B.Mehldau) 11:40
2. Twiggy (B.Mehldau) 8:40
3. Aquaman (B.Mehldau) 11:15
4. Wyatt's Eulogy for George Hanson (B.Mehldau) 12:20
5. My Ship (Weill/Gershwin) 16:50
6. Holland (Sufjan Stevens) 12:10

Encore
1. Airegin (S.Rollins) 13:40
2. Knives Out (Radiohead) 12:15
3. Still Crazy After All These Years (P.Simon) 7:15
4. No Moon At All (D.A.Mann/R.Evans) 10:20

(http://bmt.harmonyjapan.net/?eid=1092576)

ダイアログ・イン・ザ・ダーク TOKYO 2009

『ウォッチメン』 池袋東急にて

Sの壮行会のこと。

結婚式の二次会に一日に2回参加したこと。


直近の出来事でいえば、携帯をまた壊した。
今度は水攻め。

折りしも外は夏日で快晴。
洗濯物を干すごとく、携帯電話を干すと、見事に復旧した。

一応交換に出した。
アドレス帳はオンラインでバックアップを取っているので問題はないし、壊れてもかまわないかな、と思ったけれど、猫の写真が少し惜しかったので、バックアップをとった。

追記できればいいな。

今年は私自身についてというよりはむしろ、私の周囲で、いろいろなことが起こって、そのうちのいくつかはあまり望ましくは無い出来事だった。
それらの望ましくないいくつかの出来事は、私にあと少し何かがあったのなら、何とかなっていたのかもしれない、なんて思うこともあったけれど、結局それも思い上がりなのかもしれない。

たしかに在り得べき生として、あと少しの何かがある私が、望ましくないいくつかの出来事を、回避や解決できていたとしても、あと少しの何かが足りない私はいまのところ、それを悔いたりはしないようにしようと思う。
そして、何とか間にあわせて、足りない何かを手に入れようと思う。

それが、大晦日のせめてもの思い。

来年は佳い年になるといいな、あの人や、あの人や、あなたにとって。


おそらくそのような新年の挨拶の、やがて僕に届くもっともきびしい呼びかけは、かのけだかき翁の叫び声のようではないだろうか? 何事ぞ遅き魂等よ/何等の怠慢ぞ、何ぞかくとゞまるや。その声を聞く時、自分の腰に、一本の滑かなる藺が束ねられているといいのだが……
(大江健三郎『新年の挨拶』収録『カトーの藺草』)


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地下鉄にて

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地下鉄のホームで電車を待っていると、私の前をスーツ姿の男性が通り過ぎた。スーツ姿の男性、というにはまだ少し若さが残りすぎているような、社会人一年目か二年目のような印象だった。彼は何度か私の前を横切り、携帯を手に不安そうにうろうろとしていた。誰かと待ち合わせているのだろうか。
そんなことを考えながら、彼の様子を見るともなく目で追っていると、彼は足を止め、うれしそうにある方向を見た。私もなんとなくそちらに目線をやると、スーツ姿の女性が彼の方へ向かって歩いてきた。
彼女もやはり、スーツ姿の女性、というには少し若さが残りすぎているようで、同じく社会人になって間もないという印象だった。彼女はやはり、携帯を手に、彼の方へ駆け寄り、とても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
その笑顔は、彼に会えて嬉しいという彼女の感情が溢れんばかりで、とてもいいものだった。そして彼女は、彼のことが愛しくて仕方がないというようなしぐさと表情で、彼の肩にそっと手を触れた。
そして、彼もとても嬉しそうな笑顔で、何か言葉を交わしているようだった。そして、彼が彼女の首下から下がっているネックストラップの社員証を指差すと、彼女は少しはにかむようにして笑った。
そのころ時刻は21時過ぎだったので、おそらく彼女は一刻も早く彼に会いたくて、社員証をしまうのも忘れるくらいに急いで駅に駆けつけたのだろう。そして、おそらく彼も。

なんだか、とても、いいなあ、と思った。

彼女のとても良い笑顔を見せてもらって―いささか趣味の悪い覗き見だったのかもしれないけれど―、こちらまで笑みがこぼれるようだった。

そして、こういう風景が見られるのだから、クリスマスというものも悪くない。

風、鋭くなって

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もう師走で、風、鋭くなって。

なんとなく色々とザワザワとしている。

携帯が壊れて、こっちの声は向こうに通るけれど、向こうの声がこっちに通らないwhat we've got here is failure to...communicate!という、ありさま。

少し前、「今」の音楽としてeastern youthを聴きまくっていて。それが26歳と半分の私という性格を客観的に示すものだとしたら、切実にnumber girlを今の「今」の音楽として聴きまくっている私は一体何なんだろう。

端的に言って、センチメンタル過剰か。

まあ、そんな、こんな。

二週連続で『トウキョウ・ソナタ』を観に行ったり、ジャン=フィリップ・トゥーサンに直接質問する機会があったり、なんかまあ、いろいろ。

そんな、こんな。

あ、携帯は直った。

風、鋭くなって。

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昨日恵比寿ガーデンシネマに行ったら、もうクリスマスツリーが出ていた。
いやに明るい。
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何度考えても分からないのだけれど、気がついたら赤羽あたりの荒川河川敷に独り(と自転車)でいるという状況にいた。
なにやってるんだろう。と思いながら、なんだか追い立てられるように赤羽・新木場間を往復した。
なにやってるんだろう、と思いながらペダルをこいでいたけれど、空はよく晴れていた。

ほんと、なにやってたのかよくわからない。
50キロ以上も走らされてさ。

珍しくあまり愉しくは無いライドだった。

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Prost!

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テントの外のテーブル席に足を伸ばして座って、ビールを一口飲んだ。テントの中のグリルの熱と煙と、そして何より、人の熱気と、それにあてられて柄にも無く少し踊ったせいで熱を帯びた身体に、秋風がとても心地よかった。
その風は海辺だけあって、やはり潮の香りがあって、にもかかわらず、あまりべたべたとした感触はなかった。
テントの中からは相変わらずバンドの演奏と、もう何度目かわからない、
―アイン プロー ジット デ ゲ ミュー トリッヒ カイト―
という合唱が響く。そして続くのは、
―アインス、ツヴァイ、ドライ、ズッファ、プロォースト!―
という掛け声。それとともに鳴り響く、グラスを合わせる音。ところどころでなるガラスの割れて砕ける音。
そんな音に耳を傾けながら、月を眺めていた。あと一日か二日で満月になりそうな月はとても明るく照っていた。そんな月を眺めていると、風の心地よさと、ほろ酔いを少々過ぎた酔いとがあいまって、身体の輪郭がぼやけるようで、ああ、とても気持ちがよいなあ、としみじみ感じた。
この感覚は、何かに似ているな、と思ってぼんやり考えていると、それは映画館でライトが落ちて本編が始まる瞬間の感覚にも少し似ていた。そして、それはまた、先日の体験―コンタクトレンズもめがねもなしで、温泉施設に行ったとき、サウナと水風呂とを繰り返した後、露天風呂でぼんやりとしているときの弛緩―にも少し似ていた。いやいや、そこに行ったのはつい2日前じゃないか、なんて苦笑したり。
そんなことをぼんやりと考えながら、私はまたビールを一口飲んだ。オクトーバーフェストビアは、少しバナナのような香りがした。

before, after

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今日近くを通って、時間もあったので、目黒を少し散歩をした。
以前住んでいたあたりを、ぶらぶらしていると、住んでいたときから居た三毛猫がいたので、写真を撮った。

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実はこの猫は、私が住んでいたころに生まれたらしく、子猫のころから知っているのだけれど、良い具合にふてぶてしく育っていて少し嬉しかった。
この目つきの鋭さはすごい。
もう少し近づいたら、フーッと言われた。

そういえば、子猫のころに撮った写真があったと思って、PCを探したら、あった。
まさに、before afterという感じ。

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ほかにも、こんな猫もいた。

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皮膚病っぽかったけれど、後ろに傘が写っていたり、水もえさもあったりで、大切にされているみたいだった。
よくなるとよいのだけれどね。

そんな、こんなで私の携帯は猫と花の写真が着実に増えていっている。

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