大江健三郎の新刊『水死』刊行にともなって行われた、丸善でのサイン会に行って来た。
『水死』を購入したのは1ヶ月以上前だけれど、未だ1頁も読んでいない。
今はまとまった時間がとれないので、読み始めるのはまだ数ヵ月後になるだろう。
私が購入したときの記憶では、確か整理券が100枚くらい配布されたはずなので、行列もそれぐらいだったのだろう。
行列を見てみると、20代と思しき人は、5人から10人程度だっただろうか。
サイン会に来るほど、熱心に大江健三郎を読む他の20代の人は、何を考えているのか、少し気にはなった。
大江健三郎は、書店の一角に設置された机の前に座り、太めの万年筆で丁寧にサインをしていた。
整理券に記された購入者の氏名を確認するようにゆっくりと楷書で書き、その後に自分の名前を書いて判子を押した。
その間ずっと俯き、書き終わるとちらりと購入者を見て、礼を述べていた。
見慣れた自分のフルネームが、大江健三郎の手によって、少し時間をかけて書かれるというのを見るのは、何だかとても不思議な感じがした。
私の苗字は少し紛らわしい漢字があるのだけれど、質問して確かめることもなく、正しい文字が丁寧に書かれていた。
大江健三郎が記したサインには、とても見覚えがあって、ああ、そういえば大江健三郎のサインは、こういう筆跡だった。と思って、それはどこで見たのだろう、と思ってしばらく考えて思い出した。
それは、自宅の書棚にある、『青年の汚名』の背表紙が、自筆を印刷したものだったからだ。
『青年の汚名』自体は一度読んだのみだったけれど、少し手に入れるのに手間取った作品だったので、印象に残っていたのか、もしくは、書棚の中で、手書き文字が珍しかったので、印象に残っていたのか。
長い列を少しづつ消化してい間、大江健三郎はほぼずっと俯いて書いていた。書き終わってちらりと相手を見て礼を言うときを除いて。
その様子は、何かに耐えているような感じがした。
おそらく、あまり得意ではないのだろうな、と思ったのだけれど、それでも、しかたなくいやいややっているという傲慢さは微塵も感じられない、なんだか不思議な雰囲気だった。
他の多くの人同様、握手をしてもらったが、意外に力強い握手だった。
今日東京に少し雪が降った。
それを見て、雪に似合う音楽はなんだろうと考えたとmixiに書いている人がいた。
私はそのとき、昼食のベーグルを買いに出ていたところで、押しよせるさまざまのものを締め出そうとして、ipodでTMGEのアルバム"ロデオ・タンデム・ビート・スペクター"を聴いていた。trackは多分、"ターキー"だったと思う。
この曲はとても好きだけれど、雪に似合う曲というわけではない。
そこで今、ふと雪に似合う曲って何だろう、と少し考えた。
まず頭に浮かんだのは、ジャズピアノだった。なんとなく、雪のイメージとジャズピアノがつながったというだけで。
最初に浮かんだピアニストは、Bill Evansで、なんとなく"Green Dolphine Street"ぽいか、とも思ったのだけれど、あまりしっくりこない。
この動画はMiles Davisの"1958 Miles"に収録の"On Green Dolphin Street"だけれど、雪に似合うといえば、むしろBill Evans の"Green Dolphin Street"に収録の曲の方だと思う。
ただ、この曲が雪に似合うとしたら、今日のような、雪と雨の間のような雪ではなくて、もっと軽やかな雪のような。そんな気がする。少し楽しげで。
この曲もちょっと違うな、と思って、同じBill Evansなら、Miles Davisの"Kind of Blue"に収録の"Blue in Green"が思い浮かんだ。
これも、ちょっとクールすぎるような気がする。
かといって、Keith Jarrettは叙情的過ぎるような気がするし。
なんとなく、今の気分に合うのは、端整なBill Evansのピアノよりも、少し病んだ感じのするBrad Mehldauの方かもしれない。
Brad Mehldauのどの曲、と思っても、絞りきれない。アルバムだと"Live in Tokyo"の雰囲気かなとも思う。
http://www.bradmehldau.com/media/index.html
なかなか雪に似合う曲というのは難しい。
ただ、雪を歌った曲なら、とても好きな曲がある。
Sionの"雪かもな"だ。
こんな冷え込む夜には、熱い珈琲にラムを少し。
ではまた。
2ヶ月で体重が10kg以上減った。
自宅に体重計がないので、どこからどこまで減ったかとか、体脂肪率とかは解らないのだけれど、最近計ったところによると、少なくとも10kgは減ったようだ。
私は今までの人生のうちに、食餌制限による減量というものをただの一度もしたことがなくて、今回初だったのだけれど、拍子抜けするほど簡単に減るもので、驚いた。もともとの母数が大きいから、減った数も大きいということもあるのだろうけれど。
そこで、少し思うところがあったので、書き留めておこう。
そもそも、なぜ減量しようかと思ったかというと、精神的な理由が大きい。それはつまり、なぜ体重が増えたかということにつながる。
私の体重が増えたのは、端的にストレスがたまると、とにかく食べる量が増えるためだろう。そして、さらに悪いことに、私は自分で料理をするということがストレス解消にもなっている。そのために、ストレスがたまると、自分で料理を作り、そのストレスが強いほど、手の込んだ料理をしたりする。そして、出来上がった大量のそれを自分独りで食べる。
檀一雄が何かで書いていた場面でとても印象に残っている1シーンがある。それは、主人公が、キッチンつきの安宿に長期滞在していて、鬱々としている時期に、大量の材料を買い込んで、料理を作る(確かビーフシチューだったか)という場面だ。しかし彼は、作って少し食べるか食べないかでそのまま放置してしまい、食材も片付けないまま、鬱々とし続ける。やがて腐っていく料理と、蟲が這い出し始める食材の山。
このシーンが、エッセイだったか私小説だったか忘れたのだけれど、とにかく作者の檀一雄を強く連想させるものであることは確かだったと思う。実際、檀一雄はとても料理が上手で、小さい頃から自分の食べるものは自分で作る習慣というものがあったらしい。
本来、生命力の現れであるはずの、料理を作るという行為が、逆説的に陰鬱な表現となっているこの場面は、とても印象的だ。檀一雄自身が、太宰治と自分との違いは、肉体の頑強さにあるといっていたことを思い出す。そしてその頑強さは、頑強であることの皮肉さというものを書いていたように思う。
ともあれ、私自身檀一雄のように、大掛かりな料理はしないし、このような切実さで煮込み料理は作らないけれど、ストレス解消のために作っていたことは確かだ。そして、檀一雄とちがって、それを無理して自分で食べるということが多かった。
まあ、そんなことをしていれば、体調を崩すことは明らかで、元来強くない胃は荒れ、口角炎が絶えない時期もあった。
今思うと、あれだけ無茶な食生活をしていて、体重があの程度で収まっていたこと自体ちょっとおかしい。基礎代謝が多少高かったということと、消化がうまくいっていなかったということから、ある限度にとどまっていたのだろう。
そんなこんなで、体調を崩したこともあって、精神的にも良くないのだから、少し食事のあり方を変えようと思い立ったのである。厳密に言えば、食餌方法の異常は結果であって原因ではないのだけれど、これがさらに原因になるスパイラルだけは避けられるということだけれど。それが10月末くらい。
もともと料理自体は自分でしているのだから、作る量と食べる量、そして材料と調理法を変えればよかった。
具体的には、野菜メインにすること、そして、なるべく少なめの量を作ること。
レシピはマクロビ系のレシピサイトなどを参考にした。外食を除いては、ほぼ野菜ばかり食べていた。
調理法では、油を少なめにするように、煮物にするとかだろうか。
幸い、私は好き嫌いがなく、野菜も好きなので、特に苦ではなかった。
さらに、季節柄、南瓜や蓮根、白菜も美味しい時期で、これらの野菜ばかり食べていたように思う。
食事の方法としては、なるべく3食きちんと食べるということ。そして、間食をしないということ、胃で未消化のまま眠らないということ、くらいだろうか。
水もたくさん飲むようになったけれど、それはもともと多く飲んでいたから、あまり変化はなかったかもしれない。
そんなことをしていたら、体重は簡単に落ちた。
以上が体重を減らすまでの経緯だ。
そして、この過程で興味深かったのは、自分にとって、食生活で欠かせないものと、特に無くても大丈夫なものとの区別がついたということだ。
まず、欠かせないものは、珈琲とチョコレート。
珈琲は絶対に欠かせなかった。間食が減った分だけ、珈琲を飲む量が増えた。珈琲を飲むと、空腹感が収まるように思う。今後の人生においても、珈琲は不可欠だろう。
そしてチョコレート。珈琲にチョコレートは最高のマリアージュだと思う。とはいっても、できるだけ間食をしないようにしていたので、チョコレートを食べるのもかなり減った。
以前はチョコレートは部屋に欠かさずストックがあったのだけれど、それをやめた。ストックをしたとしても、ダークチョコレート、カカオが70パーセントくらいのものに代えた。そして、それを珈琲とともに一欠けら食べるようにした。
ダークチョコレートも90パーセントカカオとかだと、苦すぎるけれど、70パーセントくらいのものは、案外美味しい。珈琲にもよく合う。
それでも、やはり甘いチョコレートも恋しくなる。そんなときには、高級チョコレートといわれる部類のチョコレートを少しだけデパ地下などで購入し、食べていた。
デメルもヴィタメールも美味しいし、オリオール・バラゲが大好きだ。
これがまあ、美味い。たまに食べるから余計に美味いということもあるのだろうけれど。
チョコレートの美味さは実際、官能的ですらあると思う。
もしチョコレートがダイヤモンド並に希少であったら、それを巡って殺し合いが起こるだろうと言った作家が誰だったか忘れたけれど、実際その通りだと思う。
脳も溶ける。
私の場合はチョコレートに顕著だったのだけれど、『刑務所の中』であれほど甘いものが渇望されていたのが、少し解った気がする。
実際、間食をやめて、甘いものを一切食べていないと、むしょうに甘いものが食べたくなる。『刑務所の中』でアルフォーとコーラがあれだけ美味しいものとして描かれていたのがとてもよくわかった。
酒は飲まなくても我慢はできるけれど、甘いものは切実に駄目なのだろうな。
まあ、そんな具合。
次に、以外に大丈夫だったものは、酒だろうか。2ヶ月間まったく酒を飲まなかった。2ヶ月全くチョコレートを食べないということはおそらく耐えられないけれど、酒は大丈夫だったというのが、自分としては意外だった。
まあ、最近はすでに飲んでいるし、その際にやはり酒は美味いと感じたので、これからも飲むだろうけれど。
以前のように痛飲することはもうやめようかと思っている。
美味しく感じられる限度にしようか。といっても、ワインだと2本ぐらい美味しく飲めるのだけれど…。
あとは、スナック菓子だろうか。確かに時折ポテトチップスが食べたくなったりはするけれど、それほど強い欲求でもなかった。
以上が食べなくても大丈夫だったものと、大丈夫でなかった不可欠なものだ。
随分と長くなった。
あと、体型の変化と美醜の問題について書こうと思ったのだけれど、これはまた次に書こうか。
朝、随分と遅くなった日の出がようやく見え始めた頃、重くなりがちな足どりを少しでも軽くするために、私は音楽を聴く。
こんな朝に聴くのは、最近ずっとTMGEだ。
Thee Michelle Gun Elephant。
私がきちんとTMGEを聴いたのは、とてもとても愚かなことに、アベフトシ逝去のニュースが流れてからだった。
ラジオから流れてきた曲がものすごく格好よくて、その曲がスモーキンビリーというTMGEの曲であるということ、そして、そのバンドはもう聴けないことを知った。
『This is it』への熱狂や、忌野清志郎への追悼ムードへ感じる複雑な感じが、そのまま反射した形での後ろめたさを感じながら、TMGEを聴いている。
この朝に聴いていたアルバムは"SABRINA HEAVEN"。
その中の"メタリック"という曲を聴いていて、「詩情」ということについて考えた。
きっかけとなったのは、同曲のこの一節。
人を愛したときにはさ
人種とか国籍とか
性別とかそんなことは
ポテトチップスぐらいなもの
(Thee Michelle Gun Elephant "メタリック")
なんというか、歌詞だけだとこの曲自体から受ける印象とは随分と異なるのだけれど、それはおくとして。
この「ポテトチップスぐらいなもの」というのでしか表せないものこそが、詩情なんだろうな、と感じたのだ。
どういうことかというと、「ポテトチップスぐらいなもの」という表現を聞くと、つい「どういう意味で?」と問いたくなる。
「人種とか国籍とか性別とか」にはある性質があって、そして「ポテトチップス」にもある性質があって、その両者の性質が重なり合っていて、かつその両者においてその性質が重要な意味をもつ、という意味において、「ぐらいなもの」という表現を使っている、とか。
それは間違いではない、おそらく。
論理的といわれる思考はそのようになされるのだろう。
しかし、この部分の歌詞にはそのような思考方法では決してたどり着けないものがある。
ポテトチップスのように軽いとか、ジャンクなものだとか、何より簡単に割れてしまうこととか、そういう言葉を幾ら重ねても、決してたどり着けない余剰がこの表現にはあるように思うのだ。
つまり、「ポテトチップスぐらいなもの」という表現でしか表せないもの。
それは「つまりはこの重さなんだな。」(梶井基次郎『檸檬』)としか表現できないものであったり、「あぢさゐの花」(萩原朔太郎『こころ』)としか表現できないものであったりするのだろう。
比喩という表現がもつ豊かさとして当然のことなのだろうけれど、つい、「そのココロは?」と問うてしまう。その傾向にはある種の乏しさがあることには自覚的でありたいと、そう思った。
そんな、こんな。
「私」で始まる文章を、書くことも読むこともなくなって、随分と経つ。
構成を考えることなしに文章を書き始めるということも、もう随分とない。
だから、「私」は、今現在、ここに何を書けばいいのか、どう書けばいいのか解らなくなっている。どう書けばいいのか、という点については何とかなるとしても、何を書けばいいのか、という点については、その多くが、個人的過ぎるか、個人的ではなさ過ぎるために、書くには適さないことばかりだ。
だから、今から、Hauschkaの話をしようと思う。
「私」がHauschkaを知ったのは、友人Nにquasimode(これはこれで説明を要するかもしれないけれど、それはまた別の話だ。)についてメールをした際に、「ハウシュカええで」と教わったのがきっかけだ。
それはつい先々週くらいの話で、まだアルバムを一枚聴いたきりだけれど、これが感動に値する体験だった。
Hausckaとは…と簡潔に語ろうとしたら、wikipediaを引用するのがセオリーかもしれないけれど、あいにく日本版のwikipediaにはHauschkaの記事はないようだ。そこで、はてなキーワードをみていただこう。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/Hauschka
ということだ。
プリペアード・ピアノという、ピアノの弦に金属などの素材をはさむことによって、音色を変化させる楽器(ピアノとは異なる楽器として扱われるらしい)を用いた音楽を演奏する。
どういうものかは、映像で見た方が早いだろう。
このプリペアード・ピアノを使ったHauschkaの音色が素晴らしい。アナログな楽器でありながら、エレクトロニカっぽい音色になっているし、なんといっても、この叙情性だろう。
どの曲も、まるで映画のような叙情性に溢れていながら、陳腐にはなっていないし、一曲一曲は短いのに、とても深みが感じられる。
ああ、素晴らしい。ずっと聴いていたい。
友人Nとは、その後会って、Hausckaの良さについて語り合ったのだけれど、Nも私も、「夜中に部屋を真っ暗にして、独りで酒飲みながら聴きたい」みたいな音楽が大好きなので、その嗜好性ゆえにHauschkaが好きなのかもしれないという点はあるのかもしれない。
もっとも、Hauschkaには、健康的な爽やかな風も感じられるとは思うのだけれど。
Hauschkaの曲は
オフィシャルHPでもmp3形式で何曲も聴くことができる。
http://www.hauschka-net.de/sound.htm
さて、Hauschkaの話は以上だ。
「私」が何が言いたいか、というと、現在私は、独りで珈琲を飲みながらHauschkaを聴いているということ。そしてそれがとても素晴らしい音楽であるということ。
こういう音楽を知ることができる機会はとても貴重で、感謝するとともにとても不思議な気がするということ。
また、Hauschkaが先月末に来日していたことを知って、「私」は地団駄を踏んで悔しがったということ。
「私」は今のところこういう風に日々を生きているということ。
そんなこと。
あれはいつのことだったか。
そういえば、桜桃忌が近い、と、喫茶店の中から通りをゆく人々を眺めながら、思ったことからすると、最近といってさしつかえないのかもしれない。
そのとき私が喫茶店で飲んでいたのはアイスコーヒーで、それを飲んだ理由は、嗜好というよりはむしろ実際上の必要からだった。つまり、眠くてしょうがなかったのだ。
以前、といってももうずいぶん前のことのように思うのだけれど、一時期非常に眠りが浅くなって、長く眠れなくなったことがあった。その理由はおそらく、ストレスと呼ばれるものなのだろうけれど、その時眠くてしょうがなくなったのも、同じくストレスというものが原因なのだろう。
同じストレスであっても、その表われ方が、眠れなくなるのと、いくらでも眠ってしまうという、正反対なのはなぜだろう、と私はアイスコーヒーを飲みながら考えていた。
それはおそらく、―少し奇妙な言い方にはなるが―、現実が夢と現実のどちらにあるか、ということによるのだろう。つまり、以前眠れなかったときは、現実は夢の側にあって、起きていることが現実逃避だった。しかし、今は現実が現実の側にあって、眠ることが現実逃避ということだ。
なんだか『フォスフォレッスセンス』みたいだ、と思って、冒頭の桜桃忌が近い、という考えに至ったのだ。
もう随分と前から、10代の頃のような切実さをもって、太宰治を読むことはないだろう、と思っていたのだけれど、もうじき27歳になろうとする頃になっても、10代とはまた違った切実さを、ときに感じることがある。
それは、太宰治の小説に書かれたものそのものに切実さを感じていたのが10代だったとすれば、今はその小説を書いている太宰治の心情を推察して感じる切実さが、今のように思う。
奇しくも、太宰治が『晩年』を発表したのが27歳、そんなことを考えている間に、喫茶店のアイスコーヒーの氷はどんどんと溶けていく。
《元気だ、ギリシアの難破船の船長の話を聞いたんだが、かれは航海日誌の最後にこう走り書きして死んでいた。イマ自分ハ自分ヲマッタク信用シテイル、コウイウ気分デ嵐ト戦ウノハ愉快ダ。そこできみはオーデンのこういう詩をおぼえているかい? いまおれはそのことを考えている。
危険の感覚は失せてはならない
道はたしかに短い、また険しい
ここから見るとだらだら坂みたいだが。
それじゃ、さよなら、ともかく全力疾走、そしてジャンプだ。錘のような恐怖心からのがれて!》
(大江健三郎 『日常生活の冒険』)
27歳の私の眠気を覚ますのに必要なのは、太宰治でも、氷が解けて薄くなったアイスコーヒーでもなく、きっと、オーデンなのだろうな。
The sense of danger must not disappear:
The way is certainly both short and steep,
However gradual it looks from here;
Look if you like, but you will have to leap.
27歳になって幾分恐怖心の錘は重くはなったけれど、オーデンを胸に刻んで、跳ばなければならない。
そう思って私は、喫茶店を出た。
桜桃忌前の6月の湿気が肌にまとわり付くようで、まるで海の上を歩いているようだった。
今の自分には、いくつかの意味で闇が足りない、と思った。
そのうちのひとつは、90分から180分くらいの間の闇で補給することがきっとできる、と思って、最近行きそびれていた映画館へと向かった。
5/29 シネマロサにて『グラントリノ』
私が信頼している何人かの映画評論家が、この作品を語ることに対してためらいを感じるということを書いていたことがよく理解できた。
つまり、この映画について論じるということは、俳優クリント・イーストウッドとは何なのか、監督クリント・イーストウッドとは何なのか、という問いに答えなければならないということにほかならないからだ。
そしてそれは多くの部分で、アメリカ映画とは、ひいてはアメリカとはという問いに対する答えと重なる。
これだけ大きな問いを解いて、説いてみせることこそが、映画評論家の役割であると知っている、つまり、良心的な映画評論家であれば、その困難さにためらいを感じるのはもっともだと思う。
この映画がすばらしいのは、そのようなクリント・イーストウッドとは何なのか、という問いに対する明確な答えを持っていなくても、十二分にすばらしさが理解できるということだ。
話の筋はシンプルだし、わかりやすい。難解な描写は何一つない。
言わんとしているところもシンプルだ。
けれども、恐ろしいほどに深みがある。
……やはり私もこの作品に対して語る言葉を持たないようだ。
少し思ったのは、今までの自分の作品の総まとめ的な作品でありながら、それをひとつの作品としてまとめているという意味で『さようなら、私の本よ』に似ているかもしれないと思ったのだけれど、
どうやら近年の大江健三郎作品に対しては、大江健三郎の政治的主張と一体として拒否反応を示されていることが多いようなので、このような比喩は多くの人には残念ながら伝わらないのだろう。
5/31 早稲田松竹にて『バットマン・ビギンズ』『ダークナイト』
『ダークナイト』
この作品をロードショーで見逃しているということの一点をとっても、少なくとも私には映画好きという資格はないと思っていたのだけれど、何とか映画館で観られてよかった。同じことは『グラントリノ』に対しても思っている。
ジョーカー!ヒースレジャーの、ジョーカー!!
あのパトカー箱乗りのシーン!!
少し闇を補給できた。
ほかのいくつかの意味で足りない闇については、自分で何とかしないといけない。
この1週間で少し睡眠不足だったので、昨日は家に帰ったら夕食もとらずに眠った。
だるくなるくらいに眠って、今朝目を覚ましてラジオをつけたら、忌野清志郎の訃報が伝えられていた。
うそだろ、忌野清志郎が死ぬなんて。
きっと、寝すぎたから、頭がどうかしたんだ、そう思ってインターネットのニュースを見ても、やっぱり大きく扱われている。今まで、有名人の訃報が伝えられて、それを聞いて「ご冥福を」と言う人の気持ちが良くわからなかった。おそらく、自分が影響を受けたけれど、面識のない人の訃報というのが、今までなかったから、想像できなかったのだろうと思う。
私は後述するように、忌野清志郎にはとても大きな影響を受けている。そして、今回同思ったかというと、整理しては言えない。それでも、やっぱり衝撃は大きい。それは、きっと、忌野清志郎が、自分の一部になっていたからだと思う。
私が忌野清志郎を初めて知ったのは、中学生の頃だった。TVで流れていた"スローバラード"を聴いて衝撃を受けた。あの声、あの歌詞、あのメロディ。そしてその曲は、随分と昔のヒット曲だということ、今は解散したRCサクセションというバンドの曲だということ、忌野清志郎という人は今も音楽を続けているということを知った。
私はそれから、tsutayaに通って、RCサクセションと忌野清志郎のCDを片っ端から借りた。当時の小遣いでは、すべてのCDを買うことはできなかったし、私はとにかくすぐにでも少しでも多く彼の曲を聴きたかったからだ。
そして、daydream believerだった中学生の私は、周りがラルクとかを聴いている間、ずっと忌野清志郎とRCサクセションの曲を聴き続けた。今思えば、他人と違うものを聴いてみたいという、思春期独特の自意識の発露とも思えるけれど、発売禁止となった過去の曲のエピソードなんかはとてもかっこよかったし、かっこいい大人というのは、こういうものだと思っていた。
そして、高校生になっても、聴き続けていると、君が代のパンクバージョンが発売禁止になって、インディーズから発売されるというニュースを聞いた。私はやっぱり、とても嬉しくて、このCDは買った。今思えば、初めて買った忌野清志郎のCDがこれで、これ以降私は、同時代の忌野清志郎を追い続けた。
今回の訃報で、違和感を感じたのは、やっぱり多数のニュースは、RCサクセションの忌野清志郎としての扱いで、1990年代以降の曲については触れられていなかったように思うからだ。私にとっての忌野清志郎は、同時代の音楽であって、だからこそとてもかっこよかった。
その思いは、大学生になっても変わらず、東京に出てきて一番初めに入ったライブも、忌野清志郎だった。当時ラフィータフィーというバンドを結成していて、その2度目の全国ツアーの東京公演だ。ライブハウスでの全国ツアーというコンセプトだったこのライブも、渋谷のライブハウスで行われていて、とても近くに、中学生から聴き続けた忌野清志郎がいるということが、何か信じられないことのように思えた。
ライブの最後には、出口でメンバーが挨拶をして送り出すというのも、夢の世界のようだった。
そして、Tシャツがビショビショになるほど激しく動いた私は、帰り着いた家の玄関で、両足が攣った。
そのライブで、とても印象的だった場面がある。
それは、"夢"という曲の前のMCだ。
俺には夢がある!俺には夢があるんだ!I have a dream!
と叫んだあとで、
世界中から、戦争がなくなることだ!と忌野清志郎は叫んだ。
そして、その後に始まったのは、その激しさと対照的なくらいに、穏やかで、美しい曲だった。
夢があるのさ ひとつの夢が
遠い遠い道でも大丈夫さ
夢をこの夢を忘れないから夢にのらないか 人は笑うだろ
ちっぽけな夢だけど 大丈夫さ
夢をこの夢を信じられるかい?夢はそのままじゃただの夢のまま
誰かがそばに居なけりゃ
この夢が可愛そうだよ
この夢が可愛そうだよ君は笑うかな? おかしな夢さ
力を合わせりゃ 大丈夫さ
夢をこの夢を信じられるかい?
(ラフィータフィー "夢")
このMCと曲に、今思えばとても忌野清志郎らしさが表れていたのだと思う。つまり、原発反対の歌や、FM東京批判の歌や、北朝鮮批判の歌や、君が代など、様々の話題になった「怒りの歌」の側面と、スローバラードなどのセンチメンタルな側面と。
その両面が、矛盾せずに同時に存在しているからこそ、とても魅力があったし、私もああいう大人になりたいと思ったのだろう。
その後も、新しいアルバムが出たら買い、絵本のサイン会にも行って直筆サインを貰ったりした。
私が行ったツアーの前年のツアーのドキュメンタリー映画『不確かなメロディー』は劇場で観たし、DVDだって買った。
(このエントリーは、DVDを酒を飲みながら観た後に書いている。)
つまり、私は、21世紀の忌野清志郎のファンだったわけだ。
一番いいアルバムは"Ruffy Tuffy"だと信じているし、"トランジスタラジオ"や"雨上がりの夜空に"よりも、このアルバムに収録されている曲の方が好きだ。
先ほど引用した"夢"は素晴らしすぎるし、"Sweet Lovin'"もとても良い。
また、このアルバムではないけれど、"水の泡"を失恋したときに聴いたりしたっけか。
斑尾高原まで自転車で行ったときも、Ruffy Tuffyのステッカーを自転車に貼っていった。
ああ、何だかいかに自分がファンか、を書いているだけのように思う。つまらないな。
そういえば、最近、忌野清志郎に関する不思議なエピソードがあった。
先日池袋のお好み焼屋でお好み焼を食べながら飲んでいたら、BGMに流れていた曲が、忌野清志郎がタイマーズ名義でカバーした"デイ・ドリーム・ビリーバー"だった。
この曲も私は最も好きな曲の一つなので、一緒に飲んでいた人相手に、ご機嫌に話したりしてしまった。
少し暑苦しかったかと反省していたら、翌日、全く別の、私が忌野清志郎のファンだと知っている友人から、忌野清志郎が歌っている"デイ・ドリーム・ビリーバー"ってどのアルバムに入っている?というメールが届いた。
2日連続で、忌野清志郎、しかも"デイ・ドリーム・ビリーバー"の話というのが、なんだかとても不思議だった。
さて、今、私は紆余曲折ありながらも、夢をもって生きていて、その夢を話した人には、全くdaydream believerかのように見れるけれど、なんだかんだいって、此処にいるのは、東京に来て間もない頃にきいた、忌野清志郎の俺には夢がある。夢もっているか!という問いかけの影響はとても大きいのかもしれない、と思っている。
これだけ大きな影響を受けた忌野清志郎の死を聞いて、結局私はどう思ったか。身近な人の死というのとは、少し違う。なんとも不思議な衝撃だ。
もう忌野清志郎の新譜が聞けないし、ライブにもいけないのは残念でならない。何より、忌野清志郎という表現者がいなくなってしまったのはとても残念だ。
けれど、今は、忌野清志郎から影響を受けた、夢を、夢のそばにいようと思う。
そういえば、"デイ・ドリーム・ビリーバー"は、以下の歌詞で締めくくられる。
ずっと夢見させてくれてありがとう
僕は daydream believer そんで 彼女がQueen(ザ・タイマーズ "デイ・ドリーム・ビリーバー")
ずっと夢見させてくれてありがとう。
私はまだdaydream believerだし、これからもたぶんそうだ。そんで、あなたは私の中でのロックンロールKINGだった。

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